with グリーフ⑥~亡き父の聖地巡礼をするまで~『夏の朝、人だかりの中心に倒れた父がいた話』
ごきげんよう🍒アカチェリーナ4世です🤙🏻👈🏻
ゴールデンウィーク始まりましたね
皆さんどんな予定ですか〜
私はお花見🌸行ってみようかなって考えてますよ〜
ではではシリアスすぎる本編へどうぞ❗️笑
前回、父親が母親に
「アカチェリーナはおしゃべりで参る。
お前(母親)にそっくりだ(嫌悪)」
と愚痴っているのを
家政婦は見た!的に聞いてしまい
父親との2年続いた毎週日曜日の
場外馬券場までのドライブに行かなくなりました
その後すぐに
私は父親とケンカをしました
ケンカの原因はもうよく覚えていないのですが
大切にしていた服か何かを父親に汚されて
汚すような所に置いておいた
私が悪いように言われたので
謝ってほしいと言ったところ
「なんで親が子供に謝らないといけないんだ」
と当然のように言われたことで
父親への印象が悪くなり
無視することで抗議する日々が始まりました
(今でも私は
親と子は平等な人間同士だと思っているので
「親だから」「年上だから」
というだけで子供や若者に偉そうにする人が苦手です)
そんな矢先に父親が倒れ
そのまま父親とは仲直りをする機会を失いました
父親に異変が起こったのは
夏のよく晴れた日の日曜日でした
朝、父親が一人で近所のコンビニまで
歩いてスポニチを買いに行ってて
(スポニチって競馬やる人の御用達新聞)
母親はまだ寝てて
私は部屋を網戸にして
テレビを見てました
すると家の外から
「大丈夫ですか!?」
と男の人の大声が聞こえ
なんかあったのかな
と網戸にした窓から外を見ると
道端で誰かがうつぶせになって倒れてて
タクシーの運転手さんが通りかかった時に
それに気づいて声をかけた所のようでした
大変だなぁと思いながらよく見ると
倒れていたのは父親でした
私は思わず網戸を上げて大声で
「どうしたんですか!?」
とタクシーの運転手に叫んでました
「なんでもない、大丈夫だ」
と父親が倒れたまま私に向かって言ったので
意識はあるんだ、なら転んだだけかな
とホッとして
急いで母親を起こしに行き
父親が外で倒れてることを告げると
外に飛び出していきました
私はまた網戸越しに様子を見ることにしました
母親を起こしに行った
そのちょっとの時間で
父親の周りには数人の人が集まっていて
母親はその人たちに自分が身内だと名乗ったのか
母親がその輪に入ってすぐ人々はいなくなり
タクシーも走り去っていきました
父親は母親に肩を借りながら家に入ってきて
おでこから血を流しているのが見えました
父親は「転んだだけだ」
と言いましたが
父親は両手も使わずに
きをつけ の姿勢で地面に倒れていたんです
それでなんかおかしいな
と思いました
普通、転ぶ時って両手をつきますよね
そんなおでこをダイレクトに打つなんて
あんまり無いよなと思いました
うちの前の道が
草っぱらだったので
父親のけがも大したことはなかったのが
不幸中の幸いでした
この後から
父親は家の中で転ぶことが増えました
何もない床を歩いている時に
急に転び
そのたびに子供だった私は
不安を感じました
どうやら
歩いて足を踏み出した時に
たまに本人も意図しないタイミングで
自分の思ってるよりも
足を前に出せなくなる
ようでした
外で転んでいた時も
頭では足をちゃんと出したいところに出したつもりだったから
床に倒れてから
転んだことに気づいたんじゃないかな
だから
手を使わずに倒れてたんだろうなと分かってきました
急に自分がこんなんなったら恐怖だよね…
(今ならこう思えるけど
当時は父親の気持ちなんて全然推し量れなかった😔)
そんなことが増えて
母親もさすがに何かあると思ったらしく
父親を連れて病院に行くも
結果はどこも異常なし
何軒も病院をはしごするも
やっぱりどこも異常なし
日に日に父親は
歩く歩幅が狭くなり
椅子に座ったら自力で立ち上がれなくなり
テレビをつけたまま何時間でも
ボーっとしていることが増えました
元々父親は言葉で何か伝えることがあまりなく
何を考えているのか分からないので
見た目的にはただ体が思うように動かないだけで
他はなんともなさそうに見えました
でも、父親は一度
夜に家を出ていこうとしたことがあって
あの気丈で感情の起伏がほとんどない父親が
母親にすがりついて大泣きしていました
父親はよく
「男は3回しか泣いてはいけないんだ
1回は生まれた時
2回は親が死んだとき」
(3回は…なんだったっけ?忘れちゃった笑←台無し)
って言ってたのに
わんわん大声をあげて泣いていて
それを目の前で見ていて
本当にびっくりして不安になったことを
今でも覚えています
この家は崩壊してダメになるんじゃないか…
そんな不安を感じていました
父親が泣いたのを見たのは
後にも先にもこの一回だけでした
母親も父親が泣いたところを見たことがない
と言っていて驚いていました
父はまともに動けなくなってしまって
会社に行っても何もできなくなってしまったので
会社は母親と従業員に任せ
一日中家にいて
椅子の上に座ってるようになりました
ちょっと動きたくても
体が思うように動かない
だから水飲みたくても
家族に頼まないといけない
そうするとそんな動けない状態を見て
家族や親族からバカにされたり嫌味を言われたり
笑われたりするようになりました
父親は何を言われても相手を否定するようなことは
一切言わずに黙ってました
誰かの中に
ほんの少しでも優しい心があれば
こんなことにはならなかったのかもしれないし
もしかしたら父親は今でも生きていたかもしれない
自分の体が辛い中、誰にも優しくしてもらえないなんて
どれだけ辛かったかと
今分かってもどうしようもないけど考えてしまいます
私はその当時は父親に
絶賛無視で抗議している最中だったので
その輪には入りませんでしたが
無視してるって時点で同罪だったんだな
と
去年、自分が卵巣捻転で全然動けなくなった時に
家族に介助してもらった時
父親の気持ちが痛いほど分かりました
ベッドの上で動けない状態で
泣いて亡き父親に謝りました
この記事の日でした
人にお願いして自分の世話をしてもらうって
こんなにやるせない気持ちになるんだ
こんなに申し訳ない気持ちになるんだ
全然知らなかったな
それをバカにされたり笑われたりしたら
悲しいよな
悪いことしたなと思いました
そう思えて反省できたのは
父親が死んで12年経過した去年の話です
当時の私と父の心の距離は全く縮まらぬまま
言葉で分かり合うということを
してこなかった親子の悲しいすれ違いが起こります
ある日父親に「済まなかった」と言われ
何に対する謝罪なのかと聞くと
「分からない」と言われ
私が何に怒っていたのか
覚えているのかと聞くと
「覚えていない」と言われました
私はそんなただ私に口をきいてほしいだけの
ためにされる謝罪であれば許すことはできない
と父に言いました
今思うと、どうしてこんなことを言ってしまったのか
と悲しい気持ちになります
許してあげれば良かったのに
とにかく謝っておけばいいと思ってるんだ
と伝わってきて
父親を許す
ということをしたくないと思ってしまったんですよね…
今まで無視してたのに
急に仲良く話すなんて恥ずかしくてできない
とも思いました
ごめんね親父…
*********巻末CM**********
もうお気づきかもしれませんが
子供時代にいい思い出があんまりない
アカチェリーナ4世ですが
真面目な面もあってですね
普段はシンガーソングライターとして
『辛い気持ちを口にだして伝えていくことで
皆で自分の辛い気持ちを言えるようになろう』と
いうメッセージを発信しています
公式HPにたくさん自分の気持ちを載せているので
見に行ってみよう
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