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嗚呼、アフガニスタン! カブールの仲間たちは・・・今?②

かつての仲間たちと連絡が・・・


2004年。復興が始まったばかりのアフガニスタンでの取材。右も左もわからない私を、日々支えてくれた現地スタッフたち。

当時青年だった彼らも、それぞれ家庭を持ち、今では頼もしい中年。"きっと"歳は40歳前後。ちなみに、”きっと”というのは、当時「自分の誕生日や年齢は実は正確にはよくわからない」と言っていって笑っていたから。それは、風習だけでなく、彼らがいかに厳しい環境下で生きてきたかも示しているのかもしれません。

そんな彼らとは、帰国後もずっと何年もやりとりを続け、そのうちの何人かは日本でも会いましたが、今回のタリバンの政権掌握以降、連絡が取れなくなり、心配でたまらない日々が続いていたのです。

しかし、一人を除き、連絡を取ることができました!!どんなにほっとしたことか!!

彼らの安全の為に、名前も写真も出しませんが、今回の事態の前に、すでに家族を外国に移し終えていて、ひとりでカブールに残り取材を続けていたところ、今回の事態にあい、家族の元に帰れなくなってしまった人。

また、外国に何の足掛かりもないけれど、”外国人に協力した”ということによる迫害を恐れて、国外に逃げる道を選ぶかどうかさえ大きく迷っているメンバーもいます。そして、脱出を決意したとしても、今は逃げる方法がないのです。

彼らは、「タリバンの兵士が街をパトロールしているため、家の中にずっと閉じこもっている」「いつ踏み込まれるかと心配で、何日も寝られずにいる」「一日中ありとあらゆる人たちと連絡を取り合い、国外に出る方法を考え続けている」「もうどうしたらよいのか、どこに行けばよいのか、本当に何もかもがわからなくなって苦しい」と言います。

彼らが共通して強調するのが「タリバンが今世界にどんな綺麗事を言っていても、言行は絶対に一致しない。絶対に信頼はできない」ということ。

一人は、私たちの会社を去り、欧米のメディアで働きましたが、その世界に冠たる大手メディアでも、現地スタッフの国外脱出を実現できていないと言います。十五年以上外国のために働いてくれた人たち、その家族を、守りたくても守れず、置いてけぼりにしている状況が続いているのです。

今。自分も全くの無力で、何もできていません。自分が彼らだったらどうするのか、想像しただけで、冷や汗が出て、悪夢にうなされそうです。

このnoteでは、本来ならば、英語や中国語で資料を読み、情勢分析をしたいと思いますが、今は、安全な日本でこれを書いている最中にも、急にタリバンがドアを蹴破り部屋に入ってくるのではないか、という妄想すら抱きそうなほど、辛い気持ちになっています。

今は、国際情勢や、特定の国の失敗や戦略、という観点から語るのではなく、かつての仲間一人一人の顔を思い起こしながら、アフガンを語りたいと思っています。

カブール 青

(写真:2004年のカブールの街。女性のブルカと同じ、この種の青色が街に多かったイメージが頭に残っています。私の中では「カブール・ブルー」です。)

(*前述のように、コメント欄でも、特定の国の批評などの議論はしたくないので、ご理解ご協力をお願いいたします)

🌟インスタにも少しカブールの写真が。ご覧ください🌟

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