見出し画像

職種のタイトル付けに面食らって転職に怯えている話

私の経歴はたぶん、「一般事務」というタイトルで損をしている。

この3月までの私は「準公務員」の肩書を持っていた。
民間企業ではあるが、公共性のあるオシゴトをする人間だった。
新卒で入社してから7年。
人生で一番長く所属した場所を離れて、私は今のんびりと、そして少々不安ながら無職の時間を過ごしている。

実のところ、勤続5年目までは退職なんて考えたこともなかった。
しんどいときはあっても、それは対外的な問題だったので、自社への疑念には至らなかったのである。
転機は本社への異動。
それまで支社勤務だった私の視界がガラリと変わった。
時間が、ゆったりと流れるのである。
支社では複数の機能を少人数で担っていたので、そう感じるのも無理はないのかもしれない。
けれど部署でこんなに当たり外れがあるものかという感覚は、どうしても拭えない。
頑張っても頑張らなくても変わらないんだ。
その発見が、私の脳を激しく殴りつけていた。

せめて余裕があるならばと、意地でとあるプロジェクトを達成した頃、私は見事に燃え尽きていた。
周りに気を配り続けることに疲れていた。
在宅勤務したいな。なるべく、人の都合に左右されない仕事を。
できるなら、組織に所属しないで生きていきたい。
その気持ちはふつふつと膨らみ、私はほんのりと転職活動を始めた。

の、はずが。
転職エージェントに面談を申し込んだとき、告げられた内容に私は拍子抜けしてしまった。
「事務職としては、現職はかなり給与が高めです」
「転職するなら年収が下がるのは避けられない」
そりゃそうだろう、と思った。
結果的に、翌年度から経理関係の担当になることが決まっていたので、そこで1〜2年スキルを積んでからの転職を勧められた。
やっぱり伝わらないよナア、というのが私の感想である。
私自身、自分の経歴をどう調理してアピールしていいものか、方向性を掴みきれていなかった。
だってこの職場は、私の過ごしてきた時間は「事務職」で収まるような業務ではないのだから。

職種的には「一般事務」というラベリングがされているが、実際はそんなものではない。
あらゆることをやった。
セミナー講師も、個別相談支援も、イベント運営もやった。
その傍ら、市場調査に企画立案、会議運営もあった。
ペナルティのつくノルマこそないものの、市民の集まりへと出向いていく、いわゆる営業に似たアプローチも必要だった。
行政が関わる職場なので、そちらへの報告業務もある。
一般企業のひとにイメージしてもらうには、どんな言葉で代替すればいいかわからないような業務も、たくさんあった。
異動先の部署によっては触れたこともない経理に専念することもある。
事実、私も最後の一年は労務にかかりきりだった。
ただ、それも充てられた仕事だからでしかない。
在籍していれば、数年後にはまたカラーの違う業務を担っていたはずだ。
専門的に特化した担当を置くのではなく、全員でルーティンする。そういう会社だった。

いろんなことをやった。やらされた。
その実感はあるのに、いざそれを社会的に見たときに、7年という年数に伴ったスキルなのかと問われれば、自信はなかった。
そもそもかなりアナログな組織だった、とは思う。
ほんの2〜3年前まで勤怠の管理は紙媒体だったし、決してExcelが得意でない私すら、関数を比較的使える部類なくらいだ。
担当業務によっては名刺交換の機会もほとんどなかった。
きっと、社会人としてのマナーも足りていないことがたくさんある。
毎年採用があるわけではない企業で、ずっとなんとなく若手として、大目に見てもらえてしまっていた。
「あなたなら他所に行っても大丈夫」と送り出してもらった言葉を、素直に信じられないのが悲しくて、少し怖い。

私の7年間は、広大な社会にかかれば「一般事務」に還元される。
だから私は求人案件を読むたびにわからなくなって、足がすくんでしまう。
私のやってきたことは、他企業と共通する意味での「一般事務」なんだろうか?

井の中の蛙でいることが苦しくて大海に出た。
会社員でいるのは嫌だと思ったのに、会社員としてのスキルが低いことに怯えている。
私は、ただ時間を重ねた7年の経歴書を持って、どうやってこの海を泳ぎたいんだろうか。

#わたしのキャリア #エッセイ #転職
#生き方  


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?