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『感動』を安売りをしよう!

「全米が泣いた!」

という煽り文句に、またくだらないこと言っているなぁと感じたことはみなさん一度はあると思う。もちろん実際に泣いた人もいるのだろう。実際に見た人の大半が涙する感動巨編なのかもしれない。
とはいえ、実際にはただの煽り文句であり、宣伝のために誇張して言っているだけにすぎないことも多い。

では「全米は泣いた」は悪なのか。
私はそうは思わない。むしろ乗っかっていくべきで、泣けると言われるならこっちも全力で泣きにいくべきだ。

そんなことを最近考えている。

「人生はだいたい体感30年くらい。10代は激動、20代で家庭も子供もでき、30代でほぼ人生あがり。あとは消化試合」

そんな感じの言説が流れていた。
気持ちはわかるところがある。30代にもなると体力や行動力自体が大きく減ってしまうし、自由に動くことができる時間や経済力も減る。だいたいの体験はすでに経験したことで、新鮮な驚きなどもう長らく感じたことがない。あとはこれまで感じた感情を焼きましながら生きていくだけ。
この状況を「あがり」と表現する気持ちは痛いほどわかる。

現実には子供にお金がかかってくるのはこれからだし、仕事だっていつまで安定しているかわかったものではないご時世。30を超えても結婚していない人も沢山いるし、とても「あがり」などと言える状況ではない。
とはいえ心の動きが、感動というセンサーが固着してしまってきているのは誰しも感じるところだろう。

だからこそ、私たちはもっと感動を大安売りするべきだと思うのだ。

ちょっとでもいいと思ったら、全力で「良い!」と叫ぶべきだ。

「おいしい」でも「楽しい」でもいい。安売りでいいのだ。良いものを良いと思い、良いと話す。そうすることで、凝り固まった感性が少しづつやわらかくなってくるはずだ。
筋肉だって、動かさずに寝かせているだけでは弱る一方だし、急に動かそうと思って動くものではない。まずは準備運動をして、少しづつ負荷を増やしていかないと思うような成果を発揮してくれるはずがない。

新たな感動がないと嘆く前に、目の前にある小さな感動に心を動かすべきなのだ。全米に負けるな。バナナ以上に感動を叩き売れ。

良くも悪くも一定の金額を払えば、沢山のコンテンツに触れることができる時代だ。触れるも触れないも、感動するもしないも本人の指先ひとつの問題だ。

限られた時間を、残された時間を感動の安売りをして生きていこうではないか。それこそがこれからの幸せを作ると私は思っている。



#エッセイ #コラム #感動 #感情 #コンテンツ会議

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