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そもそもマンガは"整合性"に向いていない【#マンガの話がしたい】

さてさて。
この前バズっていたのはこんなツイート。

個別の作品にかんしては触れない方向でいきましょう。
アニメも無頼漢なので触れません。

しかしマンガに関していえば、そもそも「整合性」とか「メッセージ」を伝えるのは不向きなジャンルであり、バズり目的……つまり何よりもまず強いインパクトでひっぱる、ということはある意味マンガの正道なのではないかとわたしは思っているのです。


ここでいう「マンガ」は大手週刊誌で連載し、長期間連載されるような比較的大衆的な「マンガ」のことです。だから読み切りとか、もともと上下巻もしくは数冊で終わるつもりの作品なんかは例外扱いです。

そしてこれらの大衆的な人気マンガに共通しているのは基本的に「終わるタイミング決まっていない」ということ。
『ドラゴンボール』が人気ゆえにずっと終わることができなかった、なんていうのは有名な話。人気が出れば出るほど作品をたためなくなってしまう。売れることが基本的に一番尊い商業マンガではしかたのないことなのです。

そして、終わりのタイミングが決まらなければ「起承転結がある」、とか「張った伏線がきちんと回収されている」といった"整合性"のとれた格好になるはずがないのです。

昨日読んでいた「田村由美デビュー40周年記念本 KALEIDOSCOPE」でも萩尾望都先生だったかな……「伏線っぽいのは、張るだけ張っておいて、あとで回収できそうなら回収する」ってゆってました。そうならざる得ないんですよ。だっていつ終わるかわからないんですから。

このへんが映画との一番の違いですよね。
映画は基本2時間程度。長くても1本3時間程度でかならず終わります。だからこそ起承転結がつけられる。映画全体をとおしたメッセージというものも作りやすいです。一方、一歩先を一歩ずつ埋めていくマンガでは、1話1話でメッセ―ジを伝えていくしかないわけです。

だからこそマンガの長期連載で、きちっと終わるということは奇跡みたいに尊いことですし、そこにふんだんにメッセ―ジも盛りこまれているなんてもう神の所業としか思えません。


わたしが比較的売れ線じゃないマンガとかに引きつけられるのは、そのあたりの商業性が比較的低いことが大きいですね。
先生が描きたいように描いて、すべてまっとうして終わりたいときに終る。
当たり前のようでいて、商業というフィルターがかかったときには当たり前じゃないことですから。

このへん、どちらがいい悪いではありませんが好き嫌いの問題ですね。基本は楽しければどっちでもいいんですよ(笑
最近はマンガを発表できる場所が増えたこともあってか、昔よりも漫画家ファーストというか、作品をまっとうできる作品が増えたような気はしていますが、多くのひとがイメージする王道の「マンガ」は、整合性には向いていない創作ジャンルであることは変わりがないと思います。

そんなマンガと整合性についてのお話でした。


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