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くさった死体は電気羊の夢をみるか【ショートショート】【リライト】【#138】

「あぁ……彼女の方が早かったか」

 襲いくる彼女を見つめながら、僕はそう考えていた。抵抗することもなく勢いのままに押し倒され、彼女は僕に馬乗りになる。窓から差し込む西日が、彼女の赤黒い顔をうつし出していた。ああ、この少し吊り上がった目の形が好きだったな。今は赤く血走っていて焦点が合っていないようだ。きっともう、僕のことは僕だと認識できていない。
 彼女の細い腕のどこにそんな力があったのだろう。肉がそげるほどの力で肩をつかまれる。皮膚が破れ、赤いものが染み出すのを感じる。次の瞬間、彼女の顔が目の前に広がり、固いものが僕の頭部にあたった。――歯だ。これが噛みつかれるという感覚か……。そんなどこか拍子抜けた思いが頭をよぎった。

 僕にはもはや痛覚は存在しない。彼女がいなくなった世界では、死に対する恐怖も存在しない。彼女に食べられれば、彼女とひとつになれる。僕に残っていたのは、そんな安堵の気持ちだけだった。



 ――ことの始まりは、2カ月ほど前になる。県内のごく近い場所に隕石が落下したのが10月5日。山奥だったこともあり、落下による死傷者は出なかったようだ。
 しかし安心したのもつかの間、翌日になって事態は急変した。発端となったのひとりの男性だ。男は夢遊病にかかったようにふらふらと歩いているのを目撃されていた。そのままゆっくり隣家に向かい、その家の女性に襲いかかった。
 大きな物音と叫び声がしたという通報を受け、警察が駆けつける。男性は完全に理性を失っており、女性を「食っていた」らしい。その場で男性を逮捕された。女性の生存は絶望的と思われたが、救急車両にて病院に搬送される。しかし、――その救急車両が病院に到達することはなかった。
 当時の記録は残っていない。でもその後、街におこったことから考えれば何がおきたかは想像はつく。彼女は搬送される途中でよみがえったのだ。そして救急隊員に襲いかかったのだ。襲われた隊員たちが死亡し、よみがえり、街に放たれた。そしてねずみ算式に『生ける屍』を生み出した。
 原因がその隕石なのかどうかは定かではない。しかし隕石の落下を契機にして、この街に『ゾンビ』が発生したのは間違いないようだった。


 隕石が落下した日のことはよく覚えている
 偶然に過ぎないけれど、ちょうど彼女とつきあって5年になる記念日だったからだ。カップルによって色々だと思うけれど、5年もたてば仰々しいお祝いは必要ないだろう、ということで僕らの意見は一致していた。もちろんプレゼントもない。
 それでも、せっかくだからどこかにご飯くらいは行こうと彼女が言ったので、近くの大型ショッピングモールに新しく入ったイタリアンの店にいくことにした。無事に食事をおえ、電化製品のフロアを通り抜けていたとき。何人かの人がテレビの周りに立ち止まり、ニュースに耳を傾けていた。その人だかりに彼女が気づきテレビをのぞき込む。そして僕に話しかけた。

「ねぇこれ見てよ。隕石が落下してきたんだって。しかも県内……っていうか、これすぐ近くじゃん……」

「うわっほんとだ。ひどいね。木とかすごい倒れてる。あ、でも誰も死んだりしてないのか。――あるんだね。いきなり隕石が降ってくるなんてことが」

「隕石が接近してくるとかって、意外とわかんないもんなのかな?」

「被害は結構大きくても、隕石自体はすごく小さかったりするし、観測しきれないんじゃない? まあでもほんと誰も死んだりしてなくて良かったね。これ市街地だったら何人も死んでてもおかしくない」

「ほんとね。――でもさ」

 彼女はいたずらっぽく微笑んでいった。

「――パンデミック映画ならここからが本番だからね」

 その冗談に2人で笑ったのを覚えている。彼女のつぶやきがまさか現実のものになるなんて、その時は思いもよらなかった。


 ゾンビに噛まれたらゾンビになる。古来から伝わるゾンビのしきたりは今回も通用するようだった。だから人々はまずはゾンビに接触をしないことを心がけた。
 でもゾンビになるのは噛まれた人だけではなかった。いわゆる「空気感染」をしているようだ、という情報が駆けめぐったのは、隕石の落下から1週間ほど後のことだ。
 ゾンビに噛まれたわけでも、傷をつけられたわけでもない。ただじっと室内に隠れていた人々でも、ある時、急に苦痛を訴え、そのまま死亡にいたる。その後、しばらくしてゾンビになって甦るというケースが散見されたのだ。
 何かの粒子なのか、空気中を漂うウイルスなのか……原因もわからなければ、対処法もわからない。それでも生きたまま噛みつかれて、脳みそを吸い出されるれよりは、部屋にじっとこもってゾンビになるのを待つ方がずっといい。人々はそう判断し、街を出歩くものは誰もいなくなった。
 街にうごめくのはゾンビだけ。大半の人々は、ただじっと部屋にこもり、訪れる運命を受け入れることを選んだ。


 僕と彼女が「感染」したと思われるのは10月15日のことだ。同棲するこの家で、テレビから流れる有様に恐怖していたときに、唐突に気分が悪くなった。その後、体中に杭を刺されるような激しい苦痛があり、耐えきれなくなって意識が途絶えた。横で同じように苦しんでいる彼女になんの手助けもできなくて、悔しかったのを覚えている。
 ――そして、僕たちは数日たったのち、意識を取り戻した。同じようなケースはニュースでたくさん流れていたから慌てることはなかった。僕たちは死んで、よみがえったのだ。こうして動いているのだから「死んだ」とは言えないかもしれないけれど、僕も彼女も、体は冷たく、心臓がまったく動いていないのは確かだった。

 そうやって、文句を言う暇も、抵抗する間もないまま、僕たちはゾンビになった。

 僕らの状態は、丁度、僕と彼女がゾンビになったその時ニュースでやっていたように、意識を失い、ただ本能に従い、人に襲いかかるという姿からは程遠かった。ゾンビに噛まれて死んだわけではないから、外見もほとんど生前のままだ。もともと「色が白い」とよく言われていた僕なんかは、多少顔色が悪くなった程度の変化だ。個体差が大きいのか、何か別の要因なのかそれはわからない。とにかく意識も理性もあったし、今、知り合いに会って、「死んだ」と言ってもすぐには信じてくれないだろう。

 ただ一つ、明確に変わったことがある。それは「脳みそを食べたい」という欲求だ。決して大きな欲求じゃない。でも口の上側が、ずっと、少しだけかゆい。軽度の花粉症やアレルギーの人が感じるようなそんなレベル。容易に意識から締めだすことができだし、我慢するというほどのものでもなかったけれど、紛れもなく、その欲求はそこにあった。
 聞いてみたら、たしかに彼女にも同じような欲求があると言っていた。程度も同程度で激しいものではないらしい。
 赤の他人に襲いかからないように君をしばりつける必要はなさそうだ。安心した。そう彼女に伝えたら、肘で小突かれた。良かった。彼女も彼女のままのようだ。


 幸いにも僕らは2人だ。ゾンビから隠れ、生活できる場所もある。食欲はいつの間にか無くなったから外に出る必要もない。外に出なければ、無用な争いに巻き込まれる心配もない。いつまで過ごせるのかはわからないけれど、どのみち僕たちはもう「死んでいる」のだから、後先のことは他人まかせでもいいだろう。
 ニュースで見る限り、この町はほぼゾンビにのっとられてるようだ。とはいえ、日本中が大混乱というわけでもないらしい。実際、テレビなんかは普通に放送していた。この町のニュースは連日流れていたし、バラエティなんかも普通に放映されていた。
 サブスクのおかげで映画や音楽はいくらでもあった。それにうちには2人が持ちよった立派な本棚があった。最愛の人と何の気兼ねも無く一日中映画を見て、本を読み、感想を語りあう。
 外の喧騒をよそに、この部屋の中だけは平穏を絵にかいたようだった。


 でも11月に入ったあたりで僕たちは気がついた。総じて、感覚が鈍くなっている。それも徐々に、少しずつ進行している。
 何処かを触ったときの感覚、口に含んだときの味覚、そして物事に対する判断力。そういったものが日に日に鈍くなっているのだ。それは、体全体に薄い半透明のフィルターを1枚、また1枚とかぶされるようで、いつかは何も感じなくなり、考えることもできなくなるのだろう、ということは想像にかたくなかった。

 鈍化の原因はすぐにわかった。アンモニアの匂いが如実にそれを伝えてくれた。僕たちは、――腐ってきているのだ。気温の低いこの地方、この時期とはいえ、特別なにかの処理を施された常温の生肉が、それほど長い期間、腐らずにもつわけがない。おそらく脳みそまで腐ってしまい、自我がなくなったゾンビから本能に従い人を襲いだすのだろう。
 噛まれるなどして損傷のあった死体ほど早くゾンビ化すると考えると、外にはびこるゾンビと、僕たちとの違いにも合点がいった。特段の損傷を受けゾンビになったわけではない僕たちのような個体は、こうして徐々にゾンビ化が進行するのではないだろうか。

 ここにきて僕たちはゾンビのことにひとつ詳しくなった。
 でも、――行き着くところはきっと変わらない。


「完全にゾンビになっちゃったら、あなたのことを襲うのかしら」

「その時に、まだ僕が完全にゾンビじゃなかったら、きっとね。ゾンビ同士は共食いしないみたいだから」

「……そう」

「苦しいかな」

「いや、きっと苦しくないよ。もうあまり感覚がないし。むしろ僕が先に君を襲ったらごめん」

「……うん。それはちょっと怖い。でもいいよ。食べられるのがあなたなら。優しくしてね」

「うん。わかった。出来るだけ」

 彼女の目はどこかうつろになっていた。その瞳にうつっている画面は、どの程度見えているのだろう。

「脳みそ、美味しいのかな」

「どうなんだろうね。僕もまだ食べたことはないし。食べる頃には美味しいとか考えることも出来ないんだろうね」

「意識のあるうちに一度くらい食べておくべきだったかな……」

「お嬢さん、不謹慎ですよ」

「ふふふ、ゾンビですから」


 僕たちはゾンビになってからも、しばらくは「眠り」についた。
 眠くなるから寝る、というわけではない。睡眠欲というものは、いつの間にかほとんどなくなってしまった。それでも僕たちは夜が更けてきたらベットに入ることにしていた。そうやって生きていたころの習慣を忘れたくなかっただけなのかもしれない。実際、意識が全くなくならないまま朝を迎えることも珍しくなかった。しかしそうやって暗闇の中で横になると、ごくまれにだけれど、僕は夢を見ることがあった。
 大抵は悪夢だ。ゾンビに襲われて食べられる夢。僕自身が誰かに襲いかかる夢。相手は見知らぬ誰かであったこともあるし、彼女であったこともある。どちらにしても後味の良い物ではなかった。
 でも全部がそういう悪い夢だけじゃなかった。彼女との楽しかった思い出が出てくることもあったのだ。僕たちはきっとクリスマスまで正気を保っていることはできないだろう。それどころか、次の瞬間にはもう人間ではないかもしれない。だから体が、最後の力を振りしぼって、脳にたまっていたキレイな記憶を、……楽しかった彼女との大切な記憶を、僕に見せてくれているのかもしれない。いわゆる「走馬灯」というやつなのだろう。僕がいつ死んでもいいように、神様が少しはやくお目こぼしをくれているのだ。
 彼女との夢を見れた日は、このまま目が覚めなければいいのに、と思いながら、ゆっくりと目を開ける。

 ああ――、僕は今日もまだ生きている。


 テレビによると今日は11月17日。被害は拡大の一途をたどっているようだった。当初、政府はすぐにこの町を封鎖し、被害を食い止めようとした。しかし対応自体が致命的に遅く、すでに他の町にまでゾンビの侵入を許していたせいで、封鎖は失敗に終わったようだ。
 隕石から離れた場所では、僕たちがなったように、前触れなく空気感染するようなことはないようだけれど、人間以外の動物などもゾンビ化しており対応の難しさがあるようだ。まぁもちろんそんな外の世界のことは、もはや僕らにはまったく関係がない。

 僕たちは、ぽつりぽつりと、ゆっくりと、でもずっと会話を続けていた。僕自身、腐敗が進んでいるから、彼女の状況は良くわかる。意識がどんどん薄れ、猛烈な眠気にあらがっているのに似ている。眠気に負けて意識を手放したとき。その時がきっと本当の「ゾンビ」になるときなのだ。なにかを話していないと不安なのだ。

「今年は一緒に、クリスマスを祝えるかな」

「どうだろう……」

「同棲とか言わずに、早く結婚しておけばよかったね」

「どうだろう……」

「そこは肯定しといてよ」

「そうだね」

「もう……」


 窓の外には例年よりも少し早い初雪がふっていた。
 僕の人生に後悔がまったく無いといえば嘘になる。それでもこの2ヶ月くらい、彼女と、この部屋ですごした時間は、これまでの人生で最も心休まる時間だった。人間として生きていくこと自体が何かに追いやられることの連続で、ストレスにあふれ過ぎていたのかもしれない。まぁ、それももう戻ることのない過去の話だ。
 こんな穏やかな時間を得ることができたのは、ゾンビになったおかげといってもいい。誰に感謝したらよいかはわからないけれど、少なくとも彼女には感謝しなければいけないだろう。

 僕たちにはもう何かをしようという意欲は残っていなかった。ただ2人、並んでベットにもたれかかり、時が過ぎ去るのを……いや時が来るのをただ待っていた。左肩にかかる彼女の重さだけが、僕の命をつないでいる唯一のもののように感じた。もうきっと、――長くない。

「ありがとね」

「……ん?」

「いや二人で一緒にいられて、良かったなって」

「そうでしょ……」

 彼女は薄く笑った。いや笑った気がした。顔の筋肉はほとんど機能していないようだ。

「私も……」

 うつむいた彼女からは、それ以上の言葉はつむがれなかった。つけっぱなしのテレビからは、流行の音楽が流れていた。


(了)



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