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われながら怖いものがあまりない

いや嘘だ。実際には沢山ある。

働けなくなってお金がなくなるのも怖い。交通事故にあってやーさんに絡まれてるのも怖い。急病で動けなくなるのも怖い。怖いものは沢山ある。それは間違いないけれど、わたしが感じている「恐怖」というのは、他の人よりもずっと些細なのではないか、という気がしている。

もともとそういう性格で生まれたのだと思う。
それに「その時悩んでも悩んでも仕方ないことは悩まない」という信条を、自ら意識したのは中学生のとき。電車にお弁当箱を忘れたままおりてしまった。どうしたらいいだろう。と、右往左往しているときに、そんな信条にたどり着いたのだから決してカッコイイシチュエーションではない。でも、そのとき高々とわたしに突き立てられたそのノボリは、いまでもとても役に立っている。

もちろんウジウジと悩むことはあるけれど、多分人よりはそういう未知なるもの、確定しないものへの恐怖、というのが少ないのではないか。それは結婚していて妻を見ていて気がついたことなのかもしれない。昔と比べるとずいぶん変わったと思うけれど、彼女はいろいろ思い悩む性格をしているのだ。

そんなわけで、わたしは楽観的な性格をしている。そう認識している。
それは生きていく上では良いことなのだと思う。でも「感情の変化」とか「細かい機微」みたいなものが少なくて嫌になったりすることはある。もっと感受性ゆたかだったら、もっと何倍もいいものが書けるんじゃないか。ここ数年で何度そう思ったことだろうか。

昨日、『「感情」から書く脚本術 』を読んでいてそんなやり場のない感情をまた再認してしまった。自らが感じた恐怖とかそういうものを軸にそえて、そこからストーリーを派生させてみてはどうだろう? という文言があるのだ。そして、その方法を実践するためには恐怖が必要不可欠だ。

前述のように、わたしにだって怖いものは沢山ある。でも、私のフィルターを通った恐怖など、人の何分の一に過ぎないのではないか。そんなことを思うとウツウツとしてくるわけだ。贅沢な悩みだと言われればそんな気もする。

ちなみにこれは流石にイヤだなぁ、怖いなぁと思ったことがひとつあって、それは年老いて、もしくは健康上の理由で、意欲はあるのに体がついていかず、なにも行動に移せないこと。
別になにかを生み出していないと死んじゃう。みたいなことはないけれど、「恐怖」というものを考えたときに、それは結構大きな恐怖を感じたものだった。

はたしてみなさんにとっての「恐怖」とはなんでしょうか。



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