ありがたさを忘れてしまうから
先日のこと。
仕事にでかけるときにうっかりPASMOを忘れてしまい、何年かぶりに現金で切符を買うことに。
普段だったら並ばない切符売場に並び、目的地までの料金が分からないので乗換案内のアプリで調べ切符を購入。
自動改札機もタッチ専用の改札は通れないから、切符を吸い込む口がついた改札を選んで通過し、乗り換えのたびにまた同じように切符売り場で切符を買う。
これを繰り返した結果、たった一日だったけどもう出かけるのが嫌になるくらいホント面倒で、PASMOの偉大さを改めて痛感したわけ。
便利さや、快適さや、素晴らしさって、一旦慣れるとすぐにそのありがたさを忘れてしまうんだよね。
すぐにそれがあるのが当たり前になり、それがないのが耐えられなくなるんだよね。
PASMOに限らず、普段当たり前のように使っている道具、サービス、システム、ツール。
みんな本当は「ありがたいなー」と思えるものばかりなんだけど、どうしてもそのありがたさを忘れてしまう。
ありがたさを忘れるどころか、使えなくなると「なんで使えないんだ!なんで使わせないんだ!遅い!もっと快適に!」なんて怒りだす。
ときどき色んな理由で当たり前が当たり前でなくなり、不便な思いを強いられるのは、こういう「ありがたいなー」を思い出させてくれるために、敢えてそういうことが起きてるんじゃないか。
最近そんなことをよく考える。
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