本日も、外に出られませんので(くちぶえカタログ/松浦弥太郎)

外に出られない日は、読みたい本のタイトルをAmazonで検索して、その結果をだらだら閲覧することがある。表紙を眺めるだけでも、案外にやにやできるもんだ。


「お買い上げはしないのか」と訊かれれば、「するよ。よおく吟味してからね」と答える。僕は、お金持ちじゃないからね。使えるお金には、限りがあるのさ。


それに、本当に欲しいものも、たくさんあるわけじゃないから。最近、思うんだ。本当に欲しいものって、すでに、末永く使っているものなんじゃないかって。


毛玉が沢山ついたセーターは、脱ぐと着ていた人の身体のかたちをしていて平べったくない。そういうセーターを着ている人は信用できる。どんなものでも大切にしているに違いないからだ。

――『セーター』より

僕には、愛用しているセーターがある。だいぶ前にユニクロで買った、鼠色のセーター。ちょっと薄めなので、時々冷え込む今の時期も使っている。


僕はこのセーターの毛玉を取ったことがない。たぶん、毛玉を取ることの意義を、いまいちわかっていないからだと思う。母さんは、このセーターを見る度、いつも毛玉を取りたがっていた。「みっともない」からって。


でも僕は、何度小言をいわれようと、毛玉をむしることはなかった。松浦さんのこのことばに、勇気をもらったから。毛玉をむしらないことは、間違っていないと、教えてくれたから。

「自分が本当に気に入ったもの。出来るだけいいものを使わないと長続きしないし、上手くならないと思うんだ。カメラも一緒じゃない?」と言うと、彼はうんうんと納得した。(中略)「毎日使うものならなおさらだよね」と付け加えて言った。

――「ギター」より

最近、またギターを弾き始めた。マーチンの……型番、何だっけ。『また』というのは、当分触っていなかった、という意味でもある。学生時代は、あんなに――『あんなに』というからには、それだけ熱意をもっていた――弾き倒していたのに。


弦を張り替えて、ぽろぽろつま弾いてみる。指はすぐに痛くなるけど、思っていたよりも弾ける。指が、覚えているんだ。あの頃のように相棒にはなれないかもしれないけど、友達には戻りたいな。どうか、よろしくね。





末永く使っているものが増えていくと、欲しいものがだんだん少なくなっていく。だって、本当に欲しいものは、すでに僕の元にあるから。「本当に欲しいもの」が「末永く使っているもの」になるとき――僕は無上の幸福を感じる。自分が愛用しているもの達を、文字通り愛することができているんだって。


それは、眺めるだけじゃなくて、使って、触って、時には食べて……。僕だけが知っている、僕だけのカタログだ。

4/22更新

くちぶえカタログ/松浦弥太郎(2005年)※品切れ

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