つっつく(hibari/坂本龍一)

最近まで忘れていたけど、
少し前まで、音楽をかけたまま寝ていた。

今は、静かな方がよく眠れるけど、
そのころは、何かを聞いていないと、なかなか眠れなかった。

選曲は、すごく偏っていた。
人の声が入っていると、耳がそれに吸いよせられるから、
いつもインストゥルメンタルだった。

そして、たいてい同じものばかり聞いていた。
CDに収録されている全曲を再生するのか、
ただ1曲だけを再生するのかは、その日によって違った。

後者については、該当するのは1曲しかない。

hibari。
ピアノしか、いない曲。

二つのフレーズがあり、片方はもう片方より長さが少しだけ違っている。
だから、弾いていくうちに、それぞれがだんだんずれていく。
ずれて、ずれて、最後にまた重なって、終わりをむかえる。

そこには、二つのフレーズの他は、何もない。
焦りも苛立ちも不安も、存在しない場所だ。

僕には、初めてこの曲を聞いたときから、ずっと「引き出し」がある。
何の、と訊かれると答えようがないのだけど、あるものはあるのだ。

それは、眠るときだけ、そこに現れる。
hibariは、その「引き出し」をどうにかして開けようとしている。
小さな鳥にはどうしようもないのだけど、
そのちょっとした嘴で「どうにかならないものか」と腐心している。

何度つつかれようと、「引き出し」はじっとしている。
hibariは「牛歩ではあるが、事は確実に進んでいる」と思っている。
何度もつつかれたそこは、hibariの嘴のようにえぐれている。
ただ、それだけだ。

僕は、そんなhibariと「引き出し」の攻防を、頭のすみで見ている。
頭のすみで、僕は膝を抱えている。
hibariが「引き出し」をつつく、こつこつという音に、耳を傾けながら。

音は、道しるべになってくれる。
眠りの泥に沈んでいきたい、僕の道しるべに。

やがて、こつこつという音が、少しずつ近づいているように感じる。
hibariと「引き出し」は、ずっと同じ場所にいる。
音だけが、自由の中でゆらゆらとたゆたっている。

僕は、こっちにおいでよと、その音に向かって手をまねく。
音は、すみの方で動こうとしない僕には目もくれず、
けれど、その足はたしかに僕がいる方へ向いている。
ただ、行きたい道の途中に、僕がいるだけなのかもしれない。

hibariと「引き出し」をさし置いて、音はその場から出ていこうとする。
僕は、少しだけでいいから、その音にふれたくて、腕を大きく広げる。

そして、それから……。

音もhibariも「引き出し」もいなくなって、僕は眠りにつく。

hibari(「out of noise」収録)/坂本龍一

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