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月を飲む(アルミニウムのスプーン)

5年前だったと思う。名前は忘れてしまったけど、あるアンティークショップにふらりと立ち寄った。それは、隅の方にそっと置かれていた。アルミニウムのスプーン。

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(本当にアルミニウムなのかわからないけど、一円玉と同じ材質に見えるので、たぶんそうだと思う。)


一目惚れだった。と同時に、ぼくは使い道まで思い描いていた。あんまりお金は持っていなかったけど、そんなぼくでも買える値段だったから、機会を逃してはいけない気がして、すぐに手に取った。


アンティークショップ。なので、古くてところどころ傷のあるスプーン。他のスプーンと同じように扱おうとは、まったく考えていなかった。当時実家で過ごし、居心地の悪い思いをしていたぼくは、それをお守りのように持っていた。そして、夜が更けると取り出した。


窓は閉めたまま、空を見上げる。月は出ているか、どうか。月齢は気にしない。けど、満月に近ければ近いほどいい気がする。そして、その景色にスプーンを近付ける。くぼみに月が乗るように。丁度いいところで、ぼくは目を閉じ、スープをすするようにスプーンを口に寄せ、一気に飲み込んだ。


実際に喉を通過したのは、ただの空気。でも、この手順を踏むと、まるで月を飲んだ気分になる。腹の辺りが温かいような、汚れたところを綺麗にしてもらえたような、ささやかな幸福に包まれる。


頭がぼんやりしている日は、何度も飲み込んだ。ぼんやりしているときは、それほど嫌なことがあって、頭に靄がかかっているときだ。防衛機制。まとわりつくものを払拭するように、神聖な儀式(と、ぼくは考えていた)を気が治まるまでくり返した。時々、涙がこぼれることがあった。スプーンは、ぼくのよすがだった。


今でも月を飲むことはあるけど、昔ほどではなくなった。あれは、自分を守る方法だった。フリでも、綺麗なものを自分の中に入れることが。スプーンの背を撫でると、あのときのことを思い出す。苦しさも、寂しさも。先日、ひさしぶりに月を飲んだ。月は変わらず、ぼくの中へ滑り込んだ。腹を温めて、涙を外へ押し出す。


どうして、あの日このスプーンに出会えたんだろう。どうして、月を飲むことを思い付いたんだろう。たぶん魔法なんだろうな。考える度、そう思うことにしている。

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