見出し画像

『北京亭のチャーハン』 つくる、つながる、即とどける★2★

マージャンを知らない人のために書くと、『北』という牌(はい)は、マージャンにおいては『ペー』と読む。当時私は中学3年生。15歳で、堅実に勝つより、負けてもいいから高い手ばかり狙っていた。その日は受験生なのにアツシの家で泊りがけで打っていて、夜を過ぎて朝になっちゃうどころか、もう昼になっていた。

さすがにもうこの局で終わりにしようぜ、という大ラスのタイミングで、私の手元に『国士無双(こくしむそう)』という大物の手が入った。テンパイ。あとは『北』が来れば完成だった。

(ペー来こい、ペー来い! ペー来て、ペー来て)

心の中で強く叫んでいたのに、ついにペーは来なかった。

そこでマージャンは終了。悪友3人といっしょにアツシの家から徒歩数分のところにある、町の小さな中華料理屋へ昼ご飯を食べに行こうという話になった。そのお店の名前はなんと『北京亭(ぺきんてい)』——

忘れるはずはない。『ペー来て、ペー来て』と思っていたところに、『北京亭』だなんて、我ながらダジャレの神様に愛されすぎだ。もちろん、こんなエピソードを言ってもたぶん、あとづけ臭くて誰にも信じてもらえないし、この状況設定を口で説明するのもややこしいから、あれから数十年、誰にも言わずにこのミラクルなダジャレを封印していた。

その封印が解かれたのは2018年2月5日だった。15歳だった私は、今や中学生や高校生を相手に勉強を教える『塾の先生』になっていて、その日は月曜日で、午前から高校3年生の男子と女子2人を相手に9時から12時まで授業をしていた。この2人は大学受験生でこれが高校最後の授業(大学受験への最後の送り出しの日)だった。

「おしっ、じゃあお昼は中華料理屋さんにしよう!」

私は提案した。ずっと前から気になっていたけれど、ひとりで入るのも気が引ける店が教室のすぐそばにあったのだ。そこはまさしく『ザ・町の中華料理店』という昭和全開の店がまえであの『北京亭』を思わせた。

店は混んでいてすぐには入れなかった。待っていた私たち3人は寒い店外から中へ向け、食べ終わったら早くでてちょーだい光線を送り続けた。ほどなくして作業着をまとったペンキまみれの職人さん2人が会計をすまし、中に通されたというか、自分たちで中に入って4人がけのテーブルに座った。間口から想像していたよりも奥行きがある店内に少し驚く。店員という言葉はまったくふさわしくない、スキンヘッドとヒゲのおいちゃん2人が「いらっしゃい」も言わずに、1人は鍋を振り、もう1人は湯気の中せわしなく手を動かしている。

「わたし、ユーリンチーにします。先生はもう決めましたか?」

迷いなく決めた高3女子のマグマちゃんにそう聞かれた(授業中、おなかがマグマのようにグーグー鳴っていたことからマグマちゃんと命名)。『冊子になった写真付きのメニュー』なんておしゃれなものはない。緑色のカベにずらりと黄色い札が貼られ、そのそれぞれに色あせた朱色でメニューが書かれている。

「うん、決めた。サクラジマくんは?」

鹿児島の体育大学を受験するサクラジマくんは、ガッツリ系の表情で力強く決断。

「オレはスタミナラーメンにします。先生は?」

「私は——チャーハン」

注文を終えると私は、厳密にはもう生徒でなくなった2人の高校生に、冒頭に掲げた『説明しにくい愛され系ダジャレ』をていねいに説明しつつ、『北京亭でたった1回だけ食べたチャーハン』がいかに鮮烈で感動的だったかを語った。

サクラジマくんはニヤニヤして怪しんだ。

「ホントにそんなにおいしいんですか?」

「いや、もうね、メチャうまなんだって。あれ食べたら、これからお昼は一生チャーハンでいいって思えるね」

マグマちゃんはよだれが出そうなマウス&フェイスで確認してきた。

「先生が食べたのって何チャーハンですか?」

「ん?」

意味をとれない私をサクラジマくんがうまくフォローしてくれた。

「あれですよ、具のことですよね、あそこに書いてあるみたいな……お、カレーチャーハンがある」

「カレーチャーハン?」

一瞬、どんな食べ物か思い浮かばない私。

「うまそうっスね。うわ、そっちにすれば良かったかな」とサクラジマくん。

「カニとかエビがのっている豪華な感じだったんですかね?」とマグマちゃん。

マグマちゃんはその3日前、栄養系の大学に見事合格した。しかも成績優秀だったため、授業料半額免除というご褒美つき! もう受験が終わったので、勉強をやらなくてもいいのに、この日はお昼にお祝いの食事をする『最後の日』ということで来てくれた。マグマちゃんのお母さんは調理師免許を持っていて、保育園でご飯を作っている。食べ物については私の10倍くらい詳しい(食べる量は2倍くらいの)フードファイターだ。

「そんなのね、何チャーハンかは忘れたよ。ただおいしかったことだけ覚えてる。ほら、マグマちゃんもサクラジマくんもさ、思い出補正がかかりまくって、自分内ランキングで殿堂入りしてる食べ物ってあるでしょ。北京亭のチャーハンはまさにそれ!」

「どういうことですか?」

わからないところはきちんと質問するから、サクラジマくんは成績が良い。

「んー……あのさ、たとえばハルキはこの前、生まれて初めてカップヌードルの塩味を食べたわけ。飛行機公園の売店で、秋の終わりのちょっと寒い日にさ、さんざんサッカーの練習をしたあとに」

ハルキは私の息子(小学生)の名前だ。

「ジャンクなカップラーメンなんかより、こういう店のラーメンの方が100パーおいしいでしょ。でも、思い出パワーで序列が逆転するわけ。公園の木のベンチでさ、熱いカップを小さい手で落とさないように持って。すぐに食べたいのに3分がまんして待って、ふたを開けたら白い湯気がモワモワ、うめぇ! 何これうめぇ! って。そういうのあるでしょ、誰でも」

「ん~。オレ、あるかなぁ」とすぐに思い当たらないサクラジマくん。

「あの日の、マージャンをした後のおなかの空き具合とか、外食慣れしてない経験値の低さとか、徹夜明けのテンションだとか。受験なのにまたマージャンしちゃったよ、っていう後ろめたさとか、子どもだけでお店に入った大人感とかが絶妙にブレンドされて、北京亭のチャーハンは殿堂入りしたわけ。私の中で」

「もしかしたら今日のユーリンチーがわたしの思い出になるかもしれませんね」とマグマちゃん。

このように、結構な頻度できれいな返しをしてくれるからマグマちゃんはナイスだ。今日が最後の授業。そしてこれが、いっしょに食べる最後のご飯だもんね。

「え? 最後じゃないですよ。わたし、たぶん塾来ます! 大学で英語とか分からなくなる予定です!」

マグマちゃんは、人の目をしっかり見て話す子だ。受験勉強という残念なものを介しての関係だったけれど、この元気なまなざしを毎日のように見られていた時間はとっても幸せだった。

「オレもまだ受かってないですしね」

センター試験は目標点はとれたけれど、たしかにサクラジマくんはまだどこにも合格していない。残すは実技試験と面接だけだ。こんないい子を落とすのはもったいなすぎる。絶対に受かってほしい。


厨房の方で、炎が立ち上がった。ものすごい火力だ。

「見てよ、あの火!」

ちょっとのことで興奮する私。

「すごい。あの鍋、めっちゃ重そうですね」

女子なのに握力32kgもあるマグマちゃん。栄養の学校に行く子らしいコメントをさらに続ける。

「わたしの家じゃできないですね。あれでちゃんとお米がパラパラになるんですよね、チャーハンって」

「家庭の火じゃ弱いって父さんも言ってましたね」とサクラジマくん。

「それ、どこの家のお父さんもいうんだ。うちの父親も言ってた」と私。

カンカンカンカンッ!

深くて丸い大きな鍋と長い柄のお玉がぶつかり合う音が響く。マグマちゃんのマグマを刺激しそうな、油のよいにおいが店内に広がる。コンビニのお弁当で済ませず、寒い中、待った甲斐があった。

「先生、ここのチャーハン、北京亭にかないますかね?」とマグマちゃん。

「ついに思い出補正、しのぎますかね?」とサクラジマくん。

私は少し迷ったけど、ちゃんとはっきり伝えることにした。

「いやー、たぶん北京亭のチャーハンには勝てないね」

「そんなすごいんですか、北京亭」

「うん。ていうか、北京亭は燃えちゃったから」

「燃えちゃった?」

「マージャンをしたあとさ、あまりにおいしかったから、別の日に食べに行ったんだよ、ひとりで500円持って。そしたら北京亭があったところがまるまるなくなっていて。火事になったんだって」

たった今みたばかりの、厨房の炎が頭をよぎる。

北京亭のチャーハンは比喩ではなく、私の心の中にだけ存在する思い出となってしまった。あのチャーハンは本当においしかった。ほんのちょっとしかお金を持っていない少年が、お財布にお金を入れて、自転車をこいで1人で食べに行こうとするくらいおいしかった。

「あ! 今ちょっぴり思い出したよ、北京亭のチャーハンの具。緑のグリーンピースと黄色のコーンが、いい感じでダンスってた!」

「今、これ見て言いましたよね(笑)」

黄金色のスープとともに、すごい湯気を放つチャーハンが運ばれてきた。サクラジマくんの前に置かれたスタミナラーメンには、おろしたたっぷりのにんにくと、スライスしたにんにくがところせましと乗せられている。マグマちゃんのユーリンチーはなかなか来ない。

今日の食事がサクラジマくん、マグマちゃんの思い出になってほしい。

そして新しく始まる大学での仲間との日々の多くが、私が北京亭のチャーハンを食べたあの日のように、何十年たっても鮮明に思い出せる、美味しくて楽しくて幸せなものでありますように——。


読後📗あなたにプチミラクルが起きますように🙏 定額マガジンの読者も募集中です🚩