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『広島のおみやげ×日記が苦手な子』 つくる、つながる、即とどける★1★

日記が苦手で、夏休みだけ授業を受けに来た子がいました。小学4年生。広島旅行のお土産として、亀田の『勝ちの種』をくれました。

「楽しすぎて、何から書いていいかわからないです!」
「おお! それは良かったね」

彼の日記ノートは夏期講習用に新しく買ったばかりだったけれど、そこに文字を並べるのが苦手だから来たわけです……そのまま普通に、箇条書きで記憶を書き出して、構成を練らせてなんてしていたら、時間切れになってしまいそうだし、なにより思い出がしぼんでしまいそうな気がした。

「うーん、それじゃあ、ノートに書くのはやめよう!」

思いつきだったけれど、かぶれる日記を作りました。

製作時間は30分くらい。

▲1回の表

▲9回の裏

こうして写真にしちゃうと、息苦しそうだし、少しブキミになってしまいますね。それでもノートを飛び出した日記は、新しい表現を『つくり』、思い出と『つながり』、私に『とどき』ました。今読み直しても、彼の感動と言葉にしにくい強い思いがMAX伝わってくる

ついさっき、トップ画に広島カープの画像を使っている人がフォローしてくれて、その人が2日前の記事で、『文章を書くことは自分の発見』と書かれていました。その瞬間——

私の中で、このかぶれる日記のエピソード(半年も前のエピソード)と、その方の文章がいきなり『つながり』、私はこの記事を『つくり』、noteという媒体に『とどける』ことを試みました。まるでこの写真と記憶が、この瞬間を待っていたかのような——

こういう擬人化めいた一連の流れを『物語みたい』な特別なこととは思えません

こういうことしかないのだなとさえ思えます。出典は忘れてしまいましたが、たしか森博嗣さんが

毎日閲覧しているblogの数は500

というようなことを書かれていたような気がします。私の中で森博嗣さんがあまりに神格化されてしまい、記憶違いのエピソードだったらごめんなさい。もちろん森さんのことだから、自分をほめている記事を探しているわけではありません(その逆)。

膨大なリサーチによって得られるもの。自分の目にする範囲では誰もやっていない、しかしとても当たり前のことを即、そして継続的に実行すること。時間がある限り、『とどけたい』相手の動向を追い、『つながりたい』相手の思いを想像し、表現の核をとらえたら『つくる』こと。先月の雪の日からずっと、膨大なnoteのタイムラインをずっと追い続けている。少ししか読めないときは数行でも、写真やタイトルだけでも。全文を何度も読むときもある。わずかでも、自ら強く影響されようという意志を持って、表現に自分から関わっていくことを『ポニイテイル』の連載の期間は続けたい

私についていえば物語とともに遠慮せずに生きると決めたら、世界がまるまる物語となりました。そして打たれ弱いし短気で気性難という自覚がある私は、生身の人として表現するのはどう考えても無理だから、自分がすでに死んだものと仮定して、その上で再び戻ってきた死んだ作家として表現することにしました。ダルビッシュ投手が、人生をやり直したエピソードのように。

森博嗣さんやダルビッシュ投手、そしてnoteで想いを『つくっている』たくさんの方々、世界中に住む、本当にたくさんの人々の表現や生き様を見習って、可能な限り世界を直視し、自分でできる表現を重ねていきたいと決意することMAXでした。

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