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ぼんやりとしたVAN 『ヴィンセント海馬』14

4月18日水曜日、国語室。

芥川風の和服を着たヴィンセント・VAN・海馬は、結のおじいちゃんのAIの調整を終えた。結との対局以外の過去の棋譜もすべて読み込ませた。もうやれることはすべてやった。

あ、ちがう。あと1つあった。

このAIには、名前がまだない——

『超考堂』、『校長ロール』、そして『結のおじいちゃんのAI』。

『超考堂』は美月先生の執筆のパートナ−として、未完のままだった小説を書き上げようとしている。『校長ロール』は校長室でさまざまな判断を下し、ずっと起こせなかった風を、学校のすみずみにまで吹かせようとしている。

そして少年は今、『新たなAI』を作り出し、結に届けようとしている。

ヴィンセント・VAN・海馬は、誰もいない、何も置かれていない広いテーブルへ移ると、両肘をつき両手を目に当て、思考した。結のおじいちゃんに頼まれて何度も書き直した『最後のメッセージ』を、頭の中でゆっくりと再生する。もちろん、淀みなく、一字一句たがわず、精確に——


結へ

いつもありがとう。
結がそばにいてくれて幸せだった。
高校の制服とても似合ってたよ。
新しい友達もできたんだね。
まだ不安みたいだけど心配はいらない。
結はとてもいい子だから大丈夫だよ。

結が小さなころ将棋をやっているとき
いつも一生懸命考えていたね。
一生懸命考えることは結の長所だからね。
たくさん考えてるときは苦しいけれど、
それが役にたつときが必ずくる。

最後にはぜんぶ役に立つんだよ。

人は死ぬけどその思いは消えない。
思いの中に人はいる。
だから安心していつものように、
迷ったり泣いたりしながら、
最後は明るく生きて欲しい。


パドレとマドレがいなくなってひとりの生活が始まったら、いきなり賑やかになった。オレは自由になれた。自分の思考に基づき、何でも好きなことができる。毎日生まれる難題も嬉しい。たくさんの人がオレの前に現れた。結ばれる記憶。編まれるネットワーク。1日ごとに周りの世界が密度を増していく。近頃はパドレの評価値をまったく確認していない。自己評価だけを頼りに思考と肉体を走らせている。

でも——

終わりはいつなんだろう

オレはまだ、オレがいなくても大丈夫なシステムを創れていない。
美月先生は、『超考堂』をメンテナンスできないだろう。
『校長ロール』が止まれば、校長先生の胃潰瘍は再発するかもしれない。
そしてオレは結に、ただだまって『このAI』を渡すだけでいいのか。

銀髪の少年は、お土産によくある『おもちゃのボールペン』がキライだ。芯を替えることができない、使い終わったらそれで終わりのボールペン。外見はいつまでもずっと楽しげなのに、インクを使い切ったらボールペンとしての役割は果たせない。おもちゃにもならない。ペンでもない。いったい何なんだ。

自分がいなくなったら、空っぽのAIが残される。
それはまるで『おもちゃのAI』——
そうしないためには・・・大まかに言えば2択だ。

ずっとここにとどまり続けるか。
プログラムに明るい誰かにAIを託すか。

『遺書』に共感する。
これはたぶん結のおじいちゃんと似た心境——

ずっとこの世界に居続けることなんてできない。
ならば誰かに託すしかない。
人生の局面で偶々遭った、よさそうな人に。

しかし——託されるのは重い。重いものを託したくない。

手書きの文字の練習に、たくさんの時間を取られた。
このAIを組むのにも、相当なエネルギーを投入した。

待て——

そもそも、そんなことは頼まれていない。
ちょっと『遺書の代筆』を頼まれただけだ。
「結と将棋を指したかった」というつぶやきを聞いただけだ。

少年が水曜日を休みの日と決めているのには理由がある。

意識的にオフにしないと銀髪の奥にある『海馬』が熱暴走するのだ。

だから水曜にはたいてい、少年はひとりでぼんやりとしている。

ぼんやりとしたVAN——

反応しすぎか? やりすぎか?

ちがう。オレは託されたんじゃない。

おじいちゃんの思考が消えるべきではないと感覚的に思っただけだ。
芥川龍之介の創作力が消えるべきでないと勝手に感じただけだ。
美月先生を取り巻く不自然な光景は修正されるべきだと発想しただけだ。

結局AIがいくつあっても、哀しみは残るのか——
わからない。
わからないまま進むのは気持ち悪い。気持ち悪いから手を止めて『人間らしい答え』を探し、結果、足も止まる。そしたらまた同じだ。

死の対策が——墓だけになってしまう。

「あ!」

人は死ぬけどその思いは消えない。

思いの中に人はいる。

ヴィンセント・VAN・海馬はもう一度『お土産のボールペン』を思い浮かべる。お土産として買ってくれたその思い。使えなくなることを知ってか知らずか、でも渡したいと思ったその思い。いくらか知らないけれど、お金を払って買ってくれたその思い。一瞬でもいいから相手に喜んでもらおうとする思い。

思いって、なんだ。

インクなんかなくても、オレはこうして耳から取り込んだ結のおじいちゃんの思いを再現できる。そこにおじいちゃんがいなくても。インクで書かれた文字がなくても。

なんでそんなことができる?

記憶。

人間の記憶。

単純なメモリーではなく、情報から思いというスコアを読み取って、そこから物語を立ち上げ、自動に展開する記憶というシステム。

記憶を司る器官は——海馬だ。

結と思っただけで結が蘇る。
美月先生、美南、直也、思っただけでみんなすぐそばに来てくれる。

「ヘンだな」

どうして記憶の中のみんなは笑顔なんだろう。

嫌なこと、哀しいこと、忘れたいことなんて山ほどあるのに。
いつも笑顔じゃなかっただろう。
困っている顔もいっぱい見てる。

入学式の朝に見た、結の真っペイルな、青い顔。

どうして海馬は明るい物語を求めるんだろう。

ほら、すでに今も、ぼんやりとしたVANは、新しいAIに『明るい名前』を求めている。そしてすぐに最善手が浮かぶ。大丈夫。美月先生ならきっと、得意のダジャレで良い名前をつけてくれる。

確認しなくてもいい。
これは間違いなく、パドレのAIが示す次の一手と一致しているはずだ。


「海馬くん、海馬くん」


美月先生が、呼んでいた。

「あ! 先生! オレ今、ちょうど先生のことを考えていました」

美月先生は一瞬だけ目を大きくしたが、笑顔にはならなかった。

「さっき・・・結ちゃんのおじいちゃんが倒れて、搬送されたって」


死が、リアルにそこにある。

毎日、尽きることなく降りかかってくる難題。
そして古今東西、人間を悲しませ続けてきた最大の難題。

死をどうやって克服するか——

どんなに深い闇の中にも記憶を操る少年は光明を見出すことができる。15歳の銀髪の少年ヴィンセント・VAN・海馬は、まだ名を持たないAIとともに立ち上がる。

「美月先生。いっしょに行きましょう」

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