皆勤賞だし手首に傷がない私は、可哀想になりたかった
ずっといつか誰かに話したかったことです。
学生時代の、わたしの中に流れていた血液のドロっとした黒い部分みたいなことです。
暗い話だけど、人生なめんな、とほんとうに辛かった人からは怒られそうな内容です。
でもわたしは、その人にはその人の地獄があって、決して辛さは比較するものじゃないと思ってるから、書きます。
『わたしの辛さ』として読んでもらえると嬉しいです。
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心配されて、可哀想になれるあの子を
いいなとおもってた。
貧血気味で保健室によく行くあの子とか、
気だるそうに授業をサボって先生から職員室に呼ばれていたあの子とか、
いじめられたり喧嘩した時に、みんなの前で我慢できず泣けちゃうあの子とか、
手首にうっすらカッターの傷があったあの子も、
体が弱くて休みがちだったあの子も、
家庭が複雑でちょっと大人びた雰囲気を出していたあの子も。
羨ましいと思っていたあの頃。
浅はかだった。
彼・彼女らのその辛さに想像力を使うことなく、自分の辛さだけを見て、羨ましがっていたのだから。
でも、わたしには私の辛さがあったのだ。
良くも悪くもわたしは優等生で
辛いことをわかりやすく周りに言うことができない子供だった。心配して欲しかったけれど、それを外に出すことが苦手だった。
学校をズル休みしたことは一度もなかったし、
嫌なことがあってもまじめに授業を受けた。
習い事はほとんどがもう途中でやりたくなくなっていたけれど、親から失望されるのが怖くて、
ちゃんとやっていないことがバレた時は、泣きながら、ごめんなさい続けます、と言っていた。
ひどく長期に渡るいじめなどは体験したことがないけれど、一時的に避けられるようないじめや、遠巻きにコソコソ秘密のこと話されり、靴を隠されるとか、キツめではないけれど、だんだん効いてくるボディブローのようないじめのターゲットになっていた時期が定期的にあった。
そんな時も、誰を恨んだり憎んだりしていいか分からず、自分を追い詰めることしか、納得して落ち着ける答えがなかった。
家庭でも、成績が悪かった時は模試やテストを隠していた。他の家庭よりは厳しめだったと思う。
だから、どこからか親が情報を聞きつけて、結局隠し通すことはできず、すべて見せなければいけなかった。
母親は、怒るのではなく、呆れるような目でわたしを見たし、心底、娘の今の学力を心配するような態度をとった。その度、親を失望させたりイライラさせてしまったことへの自己嫌悪で、勝手に落ち込んでいた。
自分をダメな子供だと、子供ながらに思っていた。自分を救うために、自分を罰してしまう人の気持ちがよくわかる。
だけれど、わたしは本当の意味で自分に罰を与える勇気はなかったし、怖くて結局そこまでの行為はできなかった。
手首を切ってしまえるようなあの子を
羨ましいと思っていた。
すごく勇気があると思っていた。
学校を休んでしまえるあの子を、行動力があってすごいと思っていた。
わたしは、結局いつもの行動しかできなかった。
いつも通っている学校を、急に休むことのほうが勇気がいりすぎたし、罰として手首を切るには、血が出ることを想像すると、やっぱり怖くてできなかった。それが、なぜかとても情けなく、弱い人間に思えていた。
けれど自分を傷つけて、痛みや罰を与えたことを、周りに分かってもらいたいと言う気持ちもあった。
自分で罰を与えたから、反省しているから、許してほしいと示したかった。
でもそれには、勇気が必要だとその時知った。
羨ましいと思っていたあの子たちは、勇気を出してその行為をもって訴えていたのかもしれない。
それとも、わたしには深刻さが足りなかったのかもしれない。
手首を切れない代わりに、数学の時間に使うコンパスの針で手の甲を刺した。血が出るギリギリのところまでしかできなかった。
わたしだって、やればできると思っていたけれど、自分を傷つけて表現する勇気すらなかったのだと落ち込んだ。
あの頃、可哀想だと思われたかった。
心配されて、自分を追い詰めていることを周りが知って、「今まで無理してたんだね大丈夫だよ、ごめんね」と言われたかった。
ほんとうに、陳腐な考え方だと今になると分かる。
そんなズルい考えで引き出された言葉は、
なんの意味ももたないし、必ずそのあとブーメランのように虚しさが返ってくるのだと思う。
こんなにも心配されたいと思っていたのに
結局、〝可哀想な子〟を演じられたのは自分自身の前だけで、側からみたら昨日も今日も、いつもと変わらない私だったのだ。
可哀想な子にはならず、もう大人になってしまった。
ずっと優等生のわたし。
不謹慎だと思って、誰にも言えなかったことを、今更話しました。
人それぞれの地獄は、子供ながらにあって
みんなそれを抱えて生きてます。
だれがエラくて、なにが正解で、とかはありません。
ただ、いま生きていると言うことが全て。
わたしはそう思います。
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