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咲かざる者たちよ(第十話)


 その夏、高校二年生である喜多山のもとに祖父の訃報が届き、急いで帰宅することになった。祖母が改札口で待っていてくれていた。ホームから階段を降りてくる途中、改札口を見ても、祖母の姿がかつてのようにはっきりと認識できぬほど、祖母は小さく、老いて見えた。「よく帰ってきたねぇ。今日はこのままおじいちゃんのところ行くからねぇ。」と言いながら喜多山が持つ荷物を手伝おうとしたが、喜多山は荷物をぐっと引き寄せ、「大丈夫。僕一人で持てるから。大丈夫。」と優しく断った。喜多山は以前より遥かに身体が大きくなっていた。野球部一番の長身で、今ではレギュラーとしてチームの中核を担っている。喜多山は祖母の手を取り、そっと引いて歩いた。祖母の手は細く、ほとんど骨と皮だけのような軽さだった。

 喜多山は、亡き祖父の顔を見つめていた。その顔から、長い年月まともな言葉を聞いたことはなかった。祖父は朝から酒に溺れ、奇声を発し、場所構わず排泄し、罵声を浴びせる日々を送り、祖母を苦しめ続けていた。喜多山の心には、もはや怒り以外の感情が見当たらなかった。

祖父が生きていた頃、喜多山は介護に苦しむ祖母の姿を見て、祖父を殴ってやりたいとさえ思ったこともあった。しかし、祖母はいつも優しく「本当はおじいちゃんは、こんなことしたくないのよ。だから許してあげて」と言い、喜多山を宥めた。喜多山はその時、祖母の優しさの陰に隠された堪える涙を感じ取っていた。

 通夜を終えた二人は静かに家に散らかった祖父の遺品を整理していた。ついこの前まで祖父の喚き声とそれを宥める声とが交わる交わる部屋中に響き渡っていたが、今喜多山と祖母との空間には静寂が埋め尽くされていた。もはや二人の間に張りつめる静寂の糸には、違和感さえも覚えるようになってしまった。まるで過ぎ去った嵐のように、狂った祖父は、喜多山と祖母との時間と日常を奪いかき混ぜ、この世から消えていったのだ。
「ふふっ。これ。おじいちゃんが銀行員だった頃よ。」
 はじめにその静寂を破ったのは祖母だった。手にしていたのはサラリーマンが写った白黒の写真だった。何やら大きな建物の入り口の扉に寄りかかり、タバコを吹いている。真っ黒のオールバックの髪は光沢を帯び、肩には大きい鞄をかけていた。その太い眉毛と鋭い目だけは生前の祖父のものと変わらなかった。
「あの人、銀行中の女性からいつもお誘いを受けていたのよ。」と微笑む祖母の顔には陰がなかった。喜多山が相槌を打つとまた二人の間には静寂が流れた。
 そして気がつけば夜が更けてしまい、祖母はあわてて床についた。

 翌日朝から雲ひとつない清々しい空だった。祖父を入れた棺桶はぎらりと天を反射し、火葬場へと向かった。その直前に祖父の棺桶の顔の位置にある小扉が最後に開かれた。突如、祖母は棺桶に縋り付くように咽び泣いた。
「ありがとうねぇ。あんた、ありがとうねぇ。」
 と声を震わせていた。喜多山にはその感情が理解できなかった。喜多山は、祖父の顔を見ると祖母が苦しんだあの日々を思い出して、今でも腹立たしかった。しかしその当の本人である祖母の口からは最期に感謝の言葉が出た。喜多山は不思議で不思議でたまらなかった。喜多山の生まれ育った環境からは「愛」を知り、学ぶ機会が余りにも少なすぎたのだ。
 喜多山は祖母の肩を摩りながら、心の中で「(もうそんなことは言わないでよ。思い出してよ、あの日々を。)」と叫んでいた。




 中学から高校までの六年間の寮生活を終えた喜多山は地元の大学へ進学した。休日の喜多山の唯一の楽しみは、祖母と出かけることだった。優しく手を取りながらゆっくりと、近所のデパートや花屋を歩くことは喜多山にとって大切な時間だった。祖母は店員や道行く知り合いにわざわざ立ち止まって丁寧にお辞儀をし挨拶をしていた。その間喜多山は会話の邪魔にならぬように一歩引いてその様子を見ていた。祖母はいつも聞き手に徹していた。自分のことをベラベラと話すことはせず、相手を気遣い話をよく聞きそれに同情したり共感したりしていた。時には立ち話が長くなり退屈だったが、喜多山はそんな祖母が自慢だった。
 その日は帰りに商店街の烏賊焼き屋に寄った。いつものように老店主と話して烏賊焼きを二つ買った。商店街を抜けた先に数段程度しかない古い石段があった。祖母は歩くのに疲れてよくそこで休みたがった。喜多山はいつものように石段に座り烏賊焼きを食べている途中ふと、祖母の方を見た。たかが烏賊焼きをゆっくりゆっくり時間をかけて食べている姿を見ていると、最後に見た祖父の顔を思い出した。喜多山が昔、母に尋ねたように、「おばあちゃん、ずっと一緒にいるよね?」と聞こうとしたが、その答えは喜多山自身で理解していたため、聞くことをやめた。
 祖母は喜多山より六十二ほど歳をとっており、認知症の疑いがでてきていた。

 喜多山が大学三回生になった頃、祖母の認知機能は徐々に低下していた。喜多山がいくら部屋を片付けても、散らかしてしまう。祖母は常に何か探し物をするようになっていた。特に出かける前には、服や帽子選びにかなり時間がかかった。
 いつものように手を取り一緒に石段に座り烏賊焼きを食べる喜多山に祖母は、「昔あんたのお母さんとねぇ、」と急に話し始めた。母について話したことはこれまで一度もなかった。「こうしてよく手を繋いでここを歩いたんよ。まだあの子が五つか六つくらいの頃かな、スーパーに買い物へ行って、花屋で花を買って、商店街で烏賊焼きを買った時にね、あの子、『お母ちゃん歩くの早いから、足疲れちゃった。』なんて言うもんやから、この石段に腰掛けて休憩しながらよくこうやって烏賊焼きを食べたんよ。あの子は、はぁ、あんな風になってしまったけど、中学でも高校でも生徒の前に立って何やらよく発表してたねぇ。すごくいい子だったよ。あんたがまだお腹にいる時、よく夜にメソメソ泣いとったんよ。お腹の子をちゃんと育てられるか、とか、お母ちゃんみたいな母親になんてなれない、とか言ってねぇ。そんで、あんたが産まれた時には、そりゃもう、嬉しそうやったんよ。『お母ちゃんお母ちゃん、やったよ、産まれたよ。』てねぇ。」
と喜多山の母の思い出についてたくさん話した。喜多山は母について何も知らなかった。生みの親であり、かつての育ての親であった母、大好きだった母の記憶もありありと蘇り、喜多山は祖母に気づかれないように涙を流した。大好きだった母は消え、祖父も死に、いずれ祖母にもその時が来るであろうと考えると、寂しくて仕方がなかった。

 度重なる祖母の深夜徘徊により、施設への入所の決断を余儀なくされたちょうど三ヶ月前の出来事だった。


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