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「ふらり。」 #10 餃子とネパール料理

イマジナリーフレンドが100人いる主人公、
学文(まなふみ)のふらり、ふらり小説。


「ダル(豆のスープ)」

阿佐ヶ谷駅前の広場で学文はベンチを避けて広場の花壇の縁に腰掛けてなんの気無しに広場を眺めていた。阿佐ヶ谷の駅前の広場のベンチの横にある木には沢山の鳩が年がら年中とまっている。区では鳩に餌をやるなと言っているにもかかわらず、寂しい老人が鳩に餌をやるもんだから木にとまった鳩は餌を食べた後にベンチに座っている人に向けて糞を垂れ流している。学文はそれを知っているのでベンチには座らない。時折餌をあげた本人が糞まみれになっている事があって滑稽でもあるが、ちょっと休憩と座った他の人の頭に糞が落ちていると少しいたたまれない。

10年も20年も同じ駅の広場を眺めていると時代によってそこに佇む人々も変わってくるのが面白い。阿佐ヶ谷は2000年代に入り随分とネパール人が増えた。近頃はその広場にはネパール人と自転車で宅配する人、それに年寄りが多い。

荻窪にはネパール人のインターナショナルスクールが出来たり、ネパール系の商店や料理店も増えた。

一昔前はどうしてもネパール料理と言われてもピンと来ない日本人が多いのは当たり前だったのでネパール人がやっている料理屋は「インド・ネパール料理」とインド料理を推していた店が殆どだった。しかし昨今ではネパール料理専門やインド料理も出すがネパール料理推しの店が増えた。それだかネパール人が増え日本人にも身近になってきている。

学文も阿佐ヶ谷にあるネパール料理やインド・ネパール料理…所謂インネパ系のお店は何かと手軽なのでたまに利用する。

その一軒が割と昔からパール商店街でやっているインネパ系のお店だ。昔は100円ショップ(こちらも別の場所に移転再オープンしたが)横の急な階段を登っていくとその店はあった。

昔からゆるい店で、ある日急な階段を登って店のドアを開けるとネパール人だかインド人だがわからないが大勢の人がパーティーをしてたので「なんだ貸し切りか。。」と帰ろうとしたらかろうじて空いているスペースに普通に通されて、賑やかなパーティーをやっている隅でネパール料理を食べて帰るという不思議な体験もした事がある。

今はその店は同じパール商店街の路面店に移転したので昔よりは普通の人でも利用しやすくなった様に思う。

学文は大体この店に来ると頼むものは決まっている。大体はダルバートだ。ダルバートとはネパールの代表的な家庭料理で、ダル(豆のスープ)とバート(米飯)それに野菜の付け合せ(タルカリ)、漬物(アチャール)をセットにした言わば
ネパールの定食である。ここではそれに1品カレーを付けたもの(ある意味これもタルカリ)がシバスペシャルというなんだか凄い名前で提供される。

ちなみに小さなサラダはランチでもディナーでも付いているので出てくるはずなのだが自分の場合は大抵忘れられる事が多かった。それでも移転後は1/2位で出てくるようになったので随分改善されているようにも思う。

またディナーではドリンクが付いているんだか付いていないんだかわからない。これは聞かれる時と聞かれない時、聞かれても出て来ない時があるからである。メニューにはディナー時にはシバスペシャルにはドリンク付きと書いてないような気がしないでもないので出てこない時は来にしないけれど。

ちなみに店員には言葉があまり通じない人も多いので学文は注文時ゆっくりわかりやすくを心がけているが注文間違いはある。中々出てこないので「〇〇は注文入っておるかね?」と確認したところ「イマデマス」と蕎麦屋の出前みたいな事がたまにある。確認するとすぐに厨房が動きだして作ってくれる。

この店で学文が良く頼むのはネパールやチベットなどでよく食べられる餃子「モモ」あとは暑い夏などによく頼むスナック料理「パニプリ(ゴルガパ)」、ジャガイモをスパイスで炒めた「アルプデコ」などをよく頼む。

この日、学文達はジムビーム・ハイボール、モモ、シバスペシャル(ダルバート)、マトンビリヤニを頼んだ。

先述したがモモとはネパールやチベットなどその辺りの地域で食べられる餃子である。餃子の歴史は古くルーツは中国やメソポタミア文明の遺跡から餃子の痕跡が出てきたりと諸説あるらしい。あまりにも歴史が古く、シルクロードを伝わり色んな文化が行き来していた事を考えるとどこがルーツと考えるのは難しいが餃子の発展に世界に大きく影響を与えたのは中国だろうと学文は思う。

それはさておき、日本にも焼き餃子という物がある。日本で最初に餃子が伝わったのも清王朝時代(現在の中国)からで最初に食べたのは江戸時代、徳川光圀公であるそうな。その頃はまだ焼き餃子ではなく「ゆで饅頭」として伝わって来たらしい。勿論中国でも料理法というよりは残り物を利用したちょっとした一品料理的な物として焼き餃子は昔から存在してはいる。

どうでもいい話だが、「光圀」の「圀」の字は光圀公の顔に見えてきて面白いといつも学文は思う。

それはさておき、学文は日本で食べる焼き餃子は立派な「日本料理」だと思う。それ位独自の進化をしている。薄皮で肉餡がギッシリ詰まった米に合う焼き餃子が日本の餃子だ。

こう言うと「餃子は中華料理だ!中国の物だ!」なんて言う人がいるが、そういう人は案外世界各国に独自の餃子文化がある事を知らない事が多い。勿論ルーツは中国を始め他の国かもしれないが今では立派にその国の食文化の一つとして餃子がある。またそもそも「中華料理」とは日本を始め色々な国でローカライズされた物を呼ぶ時にも使われる。まあここら辺は曖昧ではあるが「中華料理と中国料理」で分ける場合もある。

ネパールやチベットのモモ、モンゴルのボーズ、韓国のマントゥ、トルコのマンティ(マントゥ)、ロシアのペリメニ、ジョージアのヒンカリ…等々。またイメージではあまり餃子のイメージは無いがチュニジアのブリックやイタリアのラビオリなんかも餃子の流れを組むと言われている。ここに上げた例以上にまだまだ世界にはその国独自の餃子があるが、これらをさして「餃子は中国料理だ」とは言わないであろう。

「世界の餃子 まだまだ沢山の国にそれぞれの餃子がある」

また寿司がそうであるように、海外に和食文化が広まった結果、カルフォルニアロールのようなその国にローカライズされた物が生まれた。あれはあれでその土地の文化と相まって美味しい物だと学文は思っている。しかしあれを和食の寿司とは言わないだろうし、言われても日本人は困惑するだろう。

それと同じ様に日本の焼き餃子を中国の餃子と言うと「それは違います」となるのである。「餃子」という優れた食文化が違う地域で広まっていった結果、その土地で新しい発展をし、そこを代表する食文化になった物を素直に味わい楽しむのが素直な事だろうと学文は思う。日本に来る外国人も今では日本の焼き餃子やラーメンを「日本食」として素直に見ている人が多い。

昨今、日本でも大分認知度が広がって来たビリヤニもそうである。この店のようにインネパ系のお店だと中々本格的なビリヤニにお目にかかる事は少ない。大体はフライドライスやドライカレーの様な物が多い。

ビリヤニは本来、スパイスや肉を重ね蒸した料理である。その他にも「ビリヤニとは」みたいなこれだけは外せないという作り方があるようだ。あるようだ…と言うのは本来はそうであっても実際日本ではあまりお目にかかれない。学文も炊き込んであるビリヤニを食べたくなったらそれなりに店を選んで行っている。

インド料理専門店でさえ、それなりに拘りの強いインド料理屋でしか出してない。むしろインド料理に強い拘りのある日本人オーナーの店の方がビリヤニに並々ならぬ拘りを持っているのではないか?と思う時さえある。

気持ちは分からないでも無いが、個人的には炒めたビリヤニ風のビリヤニを「偽ビリヤニ」「嘘ビリヤニ」と言うのはあまり好きではない。伝統的な作り方に拘れば拘る程、手間暇や予算がかかってくる。そうなると気軽に食べる際や他の地域に伝播した際に崩れた調理法や手軽な食べ方になっていくのはよくある話である。インドでさえ炒めビリヤニを出しているところも見かけるという。まあインドも広いのでそういう物も当然出てくるだろう。もしかすると今後日本式ビリヤニという文化が発展するかもしれない。

ビリヤニも起源を辿って行くとメソポタミアに行き着く話もある。ラオ、ピラフ、パエリャなどと同じという説もあり実に興味深い。

学文は気軽に利用できるインネパ系の料理店は好きだ。正直こういうところで細かいところを気にしていたら楽しめない。街の中華屋みたいなものである。誰も街の中華屋で本格的な中国料理は求めない。本格的な物を食べたくなったら正直こういった店より値は少し張るが拘りのある専門店に行くのである。

学文達がハイボールで喉を潤しているとモモがやってきた。見た目は中国の小籠包のような形でもある。中央にはディップする為のスパイシーなソースが置かれている。他の店でもモモは食べているがソースは店や家庭で微妙に味が異なる印象だ。

学文はソースにモモを漬けてほおばる。ジューシーで中々美味い。程よくスパイシーなので酒にもよく合う。

餃子という日本人にも身近でしかも世界に独自の進化を遂げて散らばっている物を通じて色々な国の文化に触れるのも面白いと学文は思う。そんな事を思いながらまたひとつ、またひとつとやる。

次に連れのビリヤニがやってきた。こちらはインネパ系でお馴染みの炒めビリヤニである。これはこれで美味い。ヨーグルトソースも付いている。昨今はコンビニでも中々スパイシーなカレーを出すようになってきて、カレーとプレーンヨーグルトが合う事も少しずつ認知されてきた気がする。スパイシーなカレーや食べ物にプレーンヨーグルトを少し加えながら食べると味変にもなるし、辛さがまろやかになって実に美味しい。スパイス豊富な大陸の文化の知恵だなぁと学文は思う。

「炒めビリヤニ」

そうこうしていると学文にもシバスペシャル(ダルバート)がやってきた。この店ではダルバートに目玉焼きが乗ってるのが嬉しい。このアレンジは日本のインネパ系ならでわであろう。

学文はダル(豆のスープ)をご飯に少しかけて一口食べる。少し塩気のあるスープでご飯に合う。マトンカレーも食べる。よく煮込まれていて骨からホロッと肉が取れる。特に臭み等はなくこれまたご飯にも合う。塩気やスパイスの効いたタルカリやアチャールも勿論ご飯に合う。ご飯がすすむ。

ちなみに食べてる途中に店員さんから「ノミモノツイテマスガ、ナニニシマスカ?」と聞かれたので「マンゴーラッシー」を頼んでおいた。すぐに出てきた。

目玉焼きの黄身を崩す。なんとなくの背徳感ととろーりと黄身が流れ出る高揚感。玉子って素晴らしい。幸せの黄色い黄身である。まったくいい黄身である。ダルやカレー、アチャールを少しかけてライスと一緒に食べる。口の中でそれらの味が一つになって学文は多幸感を得る。

数分後皿の上はすっかり空になった。最後にマンゴーラッシーを飲んで店を出た。店の外はすぐにパール商店街だ。阿佐ヶ谷の商店街は人が多い。

雑踏の中、アジアを感じながら学文は「ネパールから出たらパールだな」なんて事を思いながら帰路についた。

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