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価値交換実験とセーフティネット:本当の『つながり』はリスクの少ない投資

私が物々交換・助け合いの実験を続けている理由のひとつ、そして、秀島さんの電子個性通価(後日追記します)を支持する理由。
最近の社会情勢を見ていて、一度アウトプットしたい気持ちになりました。

例えば、外貨の価値の乱高下に振り回されて、たまごが500円になってしまったとき、お給料は上がらない(500円を稼ぐ労力が変わらない)から、たまごを手に入れることが大変になる。

でも、コミュニティ内で、健全なギブ・アンド・テイクのやり取りができる関係性・価値観・仕組みができていれば、お金を介すると500円であるたまごと、自宅になっている、やはりお金を介すると500円分のみかんを、直接交換してしまえば成立する。

これは、貨幣を介在していないけれども、実質的に経済活動が行われている状態であり、『実体経済』と呼ぶらしいと、最近言葉を知った。

先日作った就労支援フォーラム用のメタバース動画で、就労困難が生活困窮・社会的孤立の直接の引き金になるのはそもそもなぜなのか、持論をまとめた。

動画の中でその理由として、『仕事』『社会人力』『スキル・キャリア』とみなされること・ものと、『価値・対価』とみなされること・ものの範囲が狭いこと、さらに、地縁・血縁に乏しい人ほど、生活の糧を得る手段がお金にかたよりがちになることを挙げた。

『生活の糧』(お金をはじめ、物資・情報・人手などの即物的対価)と認められること・ものと、それらと交換可能と認められる価値(労働・スキル・物品・資源・知恵)の範囲も狭すぎる。
さらに、『労働市場』『地域社会』の中で、実質的には実体経済がほぼ完結している。

例えば、身寄りがなくなったり、地域社会で誰とも付き合えないと、おばあちゃんに子供の世話を頼んだり、ママ友にお下がりをもらうことができない。
だから、お金に頼るしかない。

労働市場で評価されないことと、地域社会で評価されず実体経済から切り離されることが、現代社会ではほぼ同義になっている。

だから、失業する(お金を稼げなくなる)と、すなわち社会的孤立・生活困窮におちいる。
そして、負のスパイラルにおちいる。

でも、失業したりお金の価値がなくなったり、身寄りをなくしても、価値と対価の概念が広がり、それをコミュニティ内でうまく交換できる関係性・価値観・仕組み・個人の節度があれば、理屈としては貨幣経済が破綻しても、生活まで破綻するリスクは多少減らすことができる。

お金はもちろん必要で、例えば当然ながらお財布が別である他人だからこそ、お金で都度精算した方が互いに良い場合もある。
お金じゃないと買えないものも、まだまだいっぱいあるし、多分今後もある。

浮ついた意味ではなく、そして、独りよがりではない『つながり』『地域社会』『支え合い』は、セーフティネットや第二のインフラになり、お金が少なくても生活の余裕を間接的に生む。

『つながり』をつくることは、FX・仮想通貨・不動産などよりも難しくなく、比較的リスクも少ない投資だと思う(もちろんFX等を否定しているわけではない)。

台風に備えるくらいの感覚で実践してよいこと・できることだと思う。
仮に経済危機が来なかったとしても、生活は楽になる。

ただ、どうしたら無理のない実体経済の循環、価値交換の仕組みが作れるのだろうと、まだ勉強も足りず、分からない。

実は、ひとりで勝手に地域通価を発行したり、物々交換をしてみたり、いろいろと以前から、実験をやっている。

机上の空論と言われることも多いけど、あまりにも希望がないから、書いてみる。

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