雑記:小説1000冊読んだ僕が小説家を志す事を辞めた理由

僕が小説家を志す事を辞めた理由

もう何年前だろう?

18歳の時、北米の大学に哲学を勉強したくて留学して、
実際やってみたら、最初の授業が超絶つまんなくて(特にギリシャ哲学ね)
構造主義とか、ポストモダンとかやりたかったんだけど
あまりのつまらなさに「小説の方が面白いな」って思って
3年の時に「心理学」「イタリア文学」「哲学」のトリプルメジャー?
みたいなのに切り替えた(ネイティブにも、お前、死ぬ気か?って言われたな笑)

本当はガチでイタリア語でイタリア文学専攻して、カルヴィーノと未来派を中心に勉強したかったけど、イタリア語がどうにも話になんなくて「英語でイタリア文学を学ぶ」というけったいな道を行くことに。笑なんかよくわかんないけど、1科目も試験範囲2000ページとか、来週までに読む課題図書が20冊とか、当たり前だった。
でも小説や詩は好きだったから、苦じゃなかった。其のおかげか
今でも英語の文書は速読できる、日本語はできないのに。笑

北米でもそこそこの名門大学だったから
まわりの日本人は、みなビジネスよりの専攻してて、後に
普通にGS(ゴールドマンサックスね)とドイチェ銀行とか就職して
初年度から2000万とか稼いで個人で税理士つけたりしてて、驚愕すんだけど
そん時「こいつらより俺成績良かったのになあ」なんて思いながら
親に申し訳ないなあって当時、日雇いのバイトと占い師のゴーストライター
やってた俺は思うことになるんだけどさ。

いつか小説書きたいな、とずっと思ってた。
学生時代から、デパートの屋上でドストエフスキーの「虐げられた人々」とか
読んでる嫌なガキだった。(フフフ、ちっともドストエフスキー好きじゃなかった)

元々性根が歪んでるから、いわゆる「感性」だけで自己表現する連中を
当時毛嫌いしてて、「誰よりも小説読んでやる」って決めて、一日3冊って
ミニマムを決めて、2年間くらいは実践した。

当時、まだ若かった島田正彦が世界文学全集を学生時代に読破して、今時にしてはちゃんと読んで書くというスタンスが、まあまとも、って某文学評論家の言葉を真に受けて、世界文学全集、日本文学全集は全部読んで、読書日記に残ってるだけでも多分1000冊は読んだ気がする。

好きな作家は全部原語で読みたかったから、バイト代のほとんどは仏和辞書、伊和辞書、あと取り寄せるイタリア、フランス、南米のマジックリアリズム(懐かしい!)の原書に消えた。あとポルトガルのぺソア、チェコのミラン、クンデラなんかも好きで日本に一時帰国すると本屋を徘徊して、スーツケースに詰め込んでた。

要は怖くて怖くて仕方なかった。
だから誰よりも本読んで、書けるようになりたかった。

だから文学の授業だけは絶対Aしかとらなかったし、
Creative Writing(実際の小説の創作の授業)では一番だった
(日本人なのに凄いね)って昔村上春樹が創作教えてたプリンストン大学で
も教えてたアメリカ人の教授に褒められて、その気になってたな。俺は次元が違うんだ、って。

日本文学の授業だと、授業でとりあげられる大江健三郎とかの
作品を実際に読んでない教授もいて、間違い指摘したりする嫌な生徒だった
(勝手に日本を背負ってるつもりだったから苦笑)

長いので次回に続きます


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