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やはり戦争は非常に複雑すぎる。そして歴史は非常に貴重なのかもしれない。

ロシアのウクライナ侵攻への非難に関しては、合意できる一方で、しばしば、疑問に思う点があった。

それは、ロシアへのヘイトを煽っているような連中がいる一方、ウクライナからの義援金と義勇兵の募集に関して、非常に疑問な点があったから。

それは、人道支援をやたらと強調する一方で、戦争を煽っているようなそういった薄気味悪さを感じたため。

そうしたら・・・

まさか、避難せざるを得ない状況にある人に、召集令状というのが・・・。

そして、こんな記事がね・・・。

しかも、戦争をあちらこちら、煽っている意味深なものが多かったしな・・・。

うーん、真珠湾を引き合いに出すとか、さすがに、煽り方がね。

それにしても、まるで、虎の威を借る狐にでもなりたいのだろうか?
といった疑念が出かねないと思うのだけど、果たしてどうなのか?

こんな時期だから、戦争と平和について、考えた方がいいのかもしれない。

それにしても、戦争と戦争の間に平和があるのか?それとも、平和と平和の間に戦争があるのか?と言われるが、実際は、「平和→大きな社会混乱→戦争」といったステップがあるような気がする。そう考えるようになったきっかけはこれ。

労働争議の多発に、血盟団といった結社によるテロや赤色ギャングによる銀行強盗、後、しのう団なる自決を促す宗教結社まで出たという社会混乱があった。

このシリーズは最近、暇がある時にみたり、そして、可能なら、全部、読破したいと思っているシリーズ。

というのも、いろいろと、その当時の出来事を見ると、日中戦争や太平洋戦争が起こるまでの間に、移民政策がとられたり、国内の状況が非常に疲弊していたりと、生の写真やその当時、あった資料が載ってたりする。

歴史を学ぶのがかったるいと思っている人にこそ、勧めたいと思う一品。

高校や中学の歴史だと、数ページで片付けられている内容も、この本を見ると、非常にややこしいことだったということが気がつくと思う。

生々しい写真とかもあるし。

今を見る前に、過去を一度、落ち着いて見るべきだと私はしばしば、思っているけど、実際、昭和の頃にあったことが、今でも尾を引いているということもあるみたいだし。

そういう意味で、歴史を見てみてみるというのは有用だと思う。

そして・・・歴史というのは繰り返す。

どうやって、平和と称される時代から以下のように戦争に突入したのか?といった経緯を見てみると、今も似たようなことが起きていないか?と冷静に見ることができると思う。

例えば、単に、侵略した方を叩くことだけで満足するのが、反戦か?むしろ、反戦どころか、それは、単に侵略した側の敵勢力になったという意思表示に過ぎない。悲惨な映像が流れるが、その一方で、海外にいる当事国出身の人がどういう目にあるのか?ということを考える必要もある。後、難民支援を初期の頃は歓迎するのだろうが、水面下でそういった難民へのヘイトが始まらないか?といったことなどを考えなければならないし、当事国が戦争をやった結果、当事国外の国の経済状況の悪化、特に輸入品が手に入らなくなり、当事国外の国が戦争に介入して、戦火が広がらないか?ならば、輸入品の代替をなんとかできないか?そもそも、自国民で、当事国にいる人をどうやって帰国にこぎつけるか?

などといったことを歴史を見ると考えてしまうのだがね。

特に、最後の問いについては満蒙開拓民の例を見るとね。

ここいらで、少し、自国と他国の関係や、むやみ、やたらにグローバル化を騒ぎ、海外にむやみやたらにでたりしていいのか?むしろ、入ってくる場合、どう対処すべきか?入ってきた人や行った先の人とキチンと対話するにはどうすべきか?などをキチンと考えるべきかもしれない。

かつて、日本が大々的に宣伝しまくったブラジル移民の件や、ブラジルから北上し、アメリカにいった移民のことを考えるとね。

正直、当事国でなければ、戦争については、「悲惨さ」だけで、動いてはならない。

さもないと、結果的に、戦争に加担することになるし、むしろ、どうやって、戦争から距離を置くかが、今後は求められると思う。

もし、戦火を広げたいのなら、単に感情に赴くまま、ロシアを非難すればいい。その結果、どういう悲惨な結果になろうと私は知らんが。

さて、果たして、ゼレンスキーは、うちの国に、どう演説してくるのか、プーチンの動きと同様に非常に警戒をしている。

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