ある老人の愚痴を聞いて
最近、ある私の知人・・・この人はもう壮年期も過ぎた老年期の老人なのだけど、非常に、重い言葉を言っていた。
(以下)
周りを見ていると、結局、適当に生きることが重要ではないかと思う。
結局、若い頃に適当に生き、無理に上位の大学に入らず、適当な大学に入って、適当な職場に入り、適当に社会の不安を言って、適当に仕事をやって、適当に生きて、適当にくたばる。
これが、人間の生き方なのだろう・・・。
結局、幸せなどなく、適当に何も考えず、適当に周りに合わせることがよく、幸福論とかわめいているのは、アホンダラに過ぎないのかもしれない。
結局、人を幸せにするのは、哲学や思考や宗教ではなく、適当さと思考停止なのかもしれない。
ならば、適当に周りに合わせて生き、嫌な上司からなんか言われたら、裏で陰口をいい、適当に生きていくしかないのだろう。
問題解決?そんなものは必要はない。
勝手に悪化して、共同体が崩壊するから。
崩壊し、二進も三進もいかなくなっても、愚痴を言い合っていればよく、社会が悪いのを人のせいにすればいいだけ。実際、社会が悪い。
それを批判する正義マンなど愚者でしかないし、袋叩きになる結末にしかならない。
これが結局、世の中なのだろう。
ならば、この世が続くことが馬鹿らしくなる。
正規雇用が破壊されようが、何をしようが、適当に生きるしかないのか。
結局、夢も希望もなかったというわけか。
そうして、病の床で、こう思うのだろう・・・
一体、何のために、勉強し、何のために、働き、何のために、生きてきたのだろうと・・・。
(以上)
結局、この老人にかける言葉はなかった。
そして、反論することもできなかった・・・。
この人は若かりし頃は目的をもっていたことを知ってはいた。
でも、裏切りで、それに失敗した。
方向転換をしたが、年齢の壁に阻まれた。
方向転換先でも裏切りに遭い、結局、それならば、何もせずに、周りに合わせていればよかったと言ってた。
終身雇用とかそういったものなんて、結局、無駄だと。
それなら、終身雇用は端からなかった方がよかったと。
そうすれば、終身雇用にとらわれて、判断を間違えなかったと。
そもそも、終身雇用があるなら、別に目標も何もいらないから、とにかく入らせろと。
そういう感じのことだった。
人間の世界は修羅の世界なのか?という風に考えさせられた。
若い人には夢や希望もないことは言いたくないのだけど、さすがに、これはどうなのかな?と、思ってしまった。
そして、援助を受ける時は、甘言で誘いをかけてくる奴らは、一切信用してはいけなかったのだろう。
そして、まったく、現場をみようとせず、こうしろああしろというのは、支援者としては、信用してはいけないのかもしれない。
裏切りに遭うだけ。
それなら、結局、何もせず、適当に生きることが全てで、上昇志向を持っている人に冷笑する・・・こういう思考に陥っても、果たして、責めることはできるのだろうか?少なくとも、私にはできない・・・。
そういう話を聴いたのさ。今日ね。
それにしても、もはや、正規雇用を破壊してしまった方がいいのかもしれない。結果的に、維新やパソナ側の勝利に終わってしまうだろう。なぜならば、リベラルや左翼そして保守が情けないから。
結局、腹を括って、闘争もしなかった。
ただね・・・これからは、そういった既存の左翼とは別の左翼が出るだろう。それは右翼の体裁をとるかもしれないが。
そういうのが、暴れるだろう。
組処法や暴対法も果たして効くのか?
という疑問も湧く。
こういう時代にならないように思考してきたけど・・・
遅すぎたのか・・・。
それとも、既存の常識を無視して、行動すれば、まだ、間に合うのだろうか?
結局、社会の維持は誰かの犠牲の上にしか成立しないのか?
少なくとも、小学生、中学生、高校生、大学生では考えることができない視点でやっていくしかないのだろうか?
生きるとは一体何なのだろうね・・・。
結局、つまらない人生とか、灰色の青春とかいうけど、結局、そっちが普通で、バラ色の青春とか、バラ色の人生とか、そっちは見せかけに過ぎないのかもしれない。もしくは、何かでそういったことが一時的にあったにせよ、人生はトータルで見れば、灰色の方が普通なのかもしれない。
でも、そういった人生だったにせよ、そういうことは貴重なのかもしれない。「黒色」になるよりは。
たまに昭和の老害の中には、昭和を恨んでいるのがいるが、私からすれば、昭和のやり方だったからって言ってなんだ?という感想。
結局、生活が安定しなければ、昭和だろうが、平成だろうが、令和だろうが、あまり意味はない。
昭和の雰囲気の工場だろうが、別にいいじゃない?
大多数の人にとっては。
一部の高慢な知識人や、愚昧な政治屋の言うことを聴く必要もない。
結果的に、自分の人生が実りあるものでなければ意味はないし、実りがなかろうと結局、自分の人生を生き抜かなければならない。
そう考えたら、別に、昭和の雰囲気だろうが、別にいいんじゃない?
えり好みしているような連中のいうことなんか聞く必要もない。
それだけか。
それにしても、「自由」というのは、結局、「何もない」という意味だけで、決して、いいものでもなんでもないのだろうかね・・・?
結局、フランスの暴徒とそれを煽動した政治家と哲学者の戯言なのか?
まあ、どういうことになろうが、結局ね。
自分がどうしたいのか?周りに合わせて、集団で、没個性的に生きるのも別に悪くないのでは?自分の心を押し殺そうが、自分の精神がすり減ろうが、生きられるだけ、マシなのだろう。
まあ、とりあえず、適当に生きていくしかないのだろう・・・。
それにしても、こういったネガティブなことを考えざるを得ないというのだから、結局、夢も希望もねえなと・・・。
それでも、生きていくしかないのだろうけどね。鬱憤を抱えたまま。
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