将来、何が使えるか、というのは本当に意味があるのだろうか?
しばしば、こういった議論がある。
将来何がどう役立つかなんてわからないというのは、同意できるし、的確に予測して役立つことだけを選ぶというのは、無理な話。
例えば、高校時代、物理を取らなかったとしよう。
だけど、その後、大学へ行ったり、就職をした先で、物理の一部を実は使う羽目になったりすることもある。
それに、歴史も、結局、ものを見る際に、結構重要。
昭和に何があったかすら、知らない状況なのと、なぜ、こういった世の中になったのか?という疑問を持つ際に、まずは、「過去に何があったのか?しかも直近で」を知る必要がある。
実際、今起きていることは、過去にすでに起きていたり、過去に、「○○すべきだ」といった思想が反映されていることがある。一部の人間にとっての都合かも知れないし、その当時の大衆がそれを望んだのかもしれないし、そもそも、何も考えないでテキトーなことをやった結果かもしれない。
なので、直近の歴史を学んで、何があったのか?を知っておく必要があると思った。
これだけではなく、高校を卒業した後に、湯水のように、いろいろな科目が重要だなと思うことが発生した。高校までは、受験科目だけをやっておけばよかったのだけどね。
まあ、だから、最近、思うのは、やりたいことは全て学ぼう!今の状況で、これをすべきだと思ったら全て学ぼう!高校までの知識はそのための「踏み台」に過ぎない。
少し、疲れていようが、周りが意味がないということだろうが、やってみようと思う。
直近は昭和史だけど、他にもいろいろとやってみたいこともある。例えば、地学はやってこなかったし、歴史も世界史は不十分な状況にあるので、そういうこともやってみよう!と私は思ってる。
ちなみに、この前は山川のロシア史を読んだ。
この本。
それにしても、日露戦争は日本史でやったけど、実は、思った以上に、特に北欧や東欧に、影響があったというのは、驚きだったけど。
それにしても、「飛ぶ大学(もしくはさまよえる大学)」というのがあったのか。そういえば、マリー・キュリーが若かりし頃、反ロシアの地下組織が運営している学校で学んだことがあるような話を聴いたが、対露感情の高まりがあの当時、北欧や東欧ではあったというわけか。
こういうことをいろいろと調べていくと、いろいろと面白い発見をすることができる。
こういう発見ができるというのも、歴史を学ぶ楽しみではないかと思う。
そして、ロシアとウクライナが戦争を始めた際に、感じたことだけど、政治屋のいうことは基本、左右両方について、「嘘」が含まれているとみていい。歴史から学ぼうとせず、自分らにとって都合のいい、箇所だけを用いて、政敵を叩くということしかやっていない。
ナイラの証言とか、そういった過去にあった失敗から学ぼうとせず、都合のいいことか嘘を垂れ流す。
こういうこともあるので、歴史から学ぶことはそういった「ゴロツキ」のプロパガンダに騙されないことに繋がるのではないかと思っている。
こういったことは、歴史だけではなく、地理、公民、理科、数学、国語、英語、技術四教科といったあらゆるところに通じると思っている。
だから、学ばなくていいなんてこともなく、どんどん、周り、特に政治屋が学ぶ必要がないと喚いているものについても、どんどん学べ。
将来なんてわからないし、昔のことわざに「来年のことを考えると鬼が笑うう」という。未来のことはだれにも分からないので、考えても、人間よりも神通力とか持っている鬼に爆笑されるだけだと、そういうこと。
だから、将来、使えるかどうかを考えず、どんどん、「やるべきだ」「やってみたい」「やってみよう」と思えることは学んでみよ。
但し、学ぶ際には、「基礎」から学ぼう。さもないと、途中で、何を言っているのかわからなくなったり、人に騙されたりするかもしれないから。
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