弥生時代の九州(肥の国・筑紫の国)
古代の九州は大陸との窓口でした。
特に弥生時代の九州の勢力図がどのようなものであったのかを考察することは、その後の日本史を辿る上でも欠かせません。
まずは、手掛かりとなる北部九州、肥の国・筑紫の国の成り立ちから見ていきましょう。
《現代語訳》(イザナギは)次に筑紫の島を産みました。この島も、からだ一つに4つの顔があり、顔ごとに名前がありました。筑紫の国は白日別といい、豊の国は豊日別といい、肥の国は建日向日豊久士比泥別といい、熊襲の国は建日別といいます。
古事記の「国生み」