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邪馬台国 菊池郡山門説~魏使の辿った道
これまで弥生時代初期の墓制や交易、そして出土物の状況から九州における諸部族の構成について考察してきました。今回はそれらを踏まえた上で、300年間論争の続く魏志倭人伝に記される邪馬台国の所在地について、私なりの考察して行きます。
距離から見た邪馬台国
魏の使者が現在のソウル近郊にあったとされる帯方郡を出発してから、不弥国に至るまではそれぞれ国までの里数が記述されています。しかし不弥国以降、邪
南海トラフ巨大地震によって引き起こされた瀬戸内海沿岸での高地性集落の出現と銅鐸祭祀の放棄
前回、弥生時代の「豊の国」では、弥生時代中期と後期の間に銅矛の形状や奉斎エリアが変わるなど、なにかしらの社会変化が生じたのではないかというお話をしました。
今回は同じ時期、主に瀬戸内海周辺で生じた変化「高地性集落の出現」の謎を解き明かし、それが及ぼした影響についてみていきましょう。
高地性集落の分布
高地性集落は、紀元1世紀前後の弥生時代中期から後期にかけて、主に瀬戸内海沿岸の海抜10