宮崎政宏

1973年東京生まれ、千葉県我孫子市在住。近所に物部系由来と思しき地名が多くあり古代史…

宮崎政宏

1973年東京生まれ、千葉県我孫子市在住。近所に物部系由来と思しき地名が多くあり古代史に興味を持つ。その由来を調べるうちに自分なりの古代史観ができたので忘れないうちにnoteにメモしておきます。

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  • 虚空から日本を見てみよう

    古代の日本をさまざまな角度から検証してみます。

記事一覧

邪馬台国 菊池郡山門説~魏使の辿った道

 これまで弥生時代初期の墓制や交易、そして出土物の状況から九州における諸部族の構成について考察してきました。今回はそれらを踏まえた上で、300年間論争の続く魏志倭…

宮崎政宏
7日前

まぼろしの邪馬台国~その虚像と実像

百家争鳴の邪馬台国論  邪馬台国をめぐる学問的議論は、日本古代史の中でも最大かつ多彩な論争の一つであり、学者のみならず古代史に興味を持つ一般の人々も参加する特異…

宮崎政宏
2週間前
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弥生時代の九州(熊襲の国)

 今回は九州南部、現在の宮崎県と鹿児島県に居住していた「熊襲」について見ていきます。なお本稿では、考古学的な出土品の状況から熊本県南部の球磨郡も熊襲の範囲に含め…

宮崎政宏
3週間前
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奴王国滅亡

 前回は、西暦1世紀頃に発生した南海トラフ巨大地震によって、瀬戸内海沿岸に暮らす人々が難民となり、古事記上巻のイザナギによるスサノヲの神逐はそのことを表している…

宮崎政宏
1か月前
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南海トラフ巨大地震によって引き起こされた瀬戸内海沿岸での高地性集落の出現と銅鐸祭祀の放棄

 前回、弥生時代の「豊の国」では、弥生時代中期と後期の間に銅矛の形状や奉斎エリアが変わるなど、なにかしらの社会変化が生じたのではないかというお話をしました。  …

宮崎政宏
1か月前
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弥生時代の九州(豊の国)

 前回は現在の福岡県西部のエリアとなる「筑紫の国」と佐賀県、長崎県、そして熊本県を領域とした「肥の国」の成り立ちについてみてきました。  今回は、現在の福岡県東…

宮崎政宏
1か月前
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虚空からの視点

はじめに 「虚空から日本を見てみよう」というタイトルには、現代の我々が、まるで空から俯瞰するような視点で古代日本を見つめ直し、その姿を捉え直すという意図が込めら…

宮崎政宏
1か月前

弥生時代の九州(肥の国・筑紫の国)

古代の九州は大陸との窓口でした。 特に弥生時代の九州の勢力図がどのようなものであったのかを考察することは、その後の日本史を辿る上でも欠かせません。 まずは、手掛か…

宮崎政宏
1か月前
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邪馬台国 菊池郡山門説~魏使の辿った道

邪馬台国 菊池郡山門説~魏使の辿った道

 これまで弥生時代初期の墓制や交易、そして出土物の状況から九州における諸部族の構成について考察してきました。今回はそれらを踏まえた上で、300年間論争の続く魏志倭人伝に記される邪馬台国の所在地について、私なりの考察して行きます。

距離から見た邪馬台国

 魏の使者が現在のソウル近郊にあったとされる帯方郡を出発してから、不弥国に至るまではそれぞれ国までの里数が記述されています。しかし不弥国以降、邪

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まぼろしの邪馬台国~その虚像と実像

まぼろしの邪馬台国~その虚像と実像

百家争鳴の邪馬台国論

 邪馬台国をめぐる学問的議論は、日本古代史の中でも最大かつ多彩な論争の一つであり、学者のみならず古代史に興味を持つ一般の人々も参加する特異な論争となっています。その中心にあるのは、邪馬台国の所在地に関する問題です。さらに、国名、距離、国家の性格、女王卑弥呼の人物像などについても論争が繰り広げられています。簡単に現在までの主な論考を見ていきましょう。

邪馬台国論争の流れ

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弥生時代の九州(熊襲の国)

弥生時代の九州(熊襲の国)

 今回は九州南部、現在の宮崎県と鹿児島県に居住していた「熊襲」について見ていきます。なお本稿では、考古学的な出土品の状況から熊本県南部の球磨郡も熊襲の範囲に含めています。

クマソの国

 『古事記』には熊曾、『日本書紀』には熊襲と表記され、『筑前国風土記』では球磨囎唹と表記される九州南部のクマソ国ですが、現在に残る地名の妥当性から、これは青柳高鞆が「日本人種新論」で指摘するように球磨(熊本県球磨

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奴王国滅亡

奴王国滅亡

 前回は、西暦1世紀頃に発生した南海トラフ巨大地震によって、瀬戸内海沿岸に暮らす人々が難民となり、古事記上巻のイザナギによるスサノヲの神逐はそのことを表していると言及しました。

 今回は、津波に追われた瀬戸内の難民「スサノヲ」の人々がどこに行き、何をしたのか、まずは古事記の続きをみていきます。

スサノヲ高天原へ

(現代語訳)(スサノヲがこちらに来ることを聞くと)アマテラスは驚いて、「スサノヲ

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南海トラフ巨大地震によって引き起こされた瀬戸内海沿岸での高地性集落の出現と銅鐸祭祀の放棄

南海トラフ巨大地震によって引き起こされた瀬戸内海沿岸での高地性集落の出現と銅鐸祭祀の放棄

 前回、弥生時代の「豊の国」では、弥生時代中期と後期の間に銅矛の形状や奉斎エリアが変わるなど、なにかしらの社会変化が生じたのではないかというお話をしました。

 今回は同じ時期、主に瀬戸内海周辺で生じた変化「高地性集落の出現」の謎を解き明かし、それが及ぼした影響についてみていきましょう。

高地性集落の分布

 高地性集落は、紀元1世紀前後の弥生時代中期から後期にかけて、主に瀬戸内海沿岸の海抜10

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弥生時代の九州(豊の国)

弥生時代の九州(豊の国)

 前回は現在の福岡県西部のエリアとなる「筑紫の国」と佐賀県、長崎県、そして熊本県を領域とした「肥の国」の成り立ちについてみてきました。

 今回は、現在の福岡県東部と大分県の領域からなる「豊の国」が弥生時代はどのようなところだったのかをみていきます。なお、本稿では宗像市以東の遠賀川流域も弥生時代の痕跡から見て「豊の国」として扱います。

豊の国は「物部氏」の故郷

 『日本書紀』には、神武天皇に始

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虚空からの視点

虚空からの視点

はじめに

「虚空から日本を見てみよう」というタイトルには、現代の我々が、まるで空から俯瞰するような視点で古代日本を見つめ直し、その姿を捉え直すという意図が込められています。古代日本は、数千年にわたる豊かな歴史と多様な文化を持っていますが、その全貌は未だに多くの謎に包まれています。

知見の集積

これまで考古学、地理学、歴史学、文化人類学など各分野で詳細な研究が行われてきました。考古学的には縄文

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弥生時代の九州(肥の国・筑紫の国)

弥生時代の九州(肥の国・筑紫の国)

古代の九州は大陸との窓口でした。
特に弥生時代の九州の勢力図がどのようなものであったのかを考察することは、その後の日本史を辿る上でも欠かせません。
まずは、手掛かりとなる北部九州、肥の国・筑紫の国の成り立ちから見ていきましょう。

《現代語訳》(イザナギは)次に筑紫の島を産みました。この島も、からだ一つに4つの顔があり、顔ごとに名前がありました。筑紫の国は白日別といい、豊の国は豊日別といい、肥の国

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