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待ち合い室で考える事々がある、それらはそこでしか考えられる事はない。


子宮筋腫の検診で午前中に病院にいる。検診はイヤだし朝から憂鬱だけど、

待ち合い室にいるのはちっともイヤじゃない。

予約の時間からはすでに1時間以上も経っているが、全く気にならないしイライラしない。(世代的にSMAPを思い出しませんか)

仕事に追われている訳ではないからそう言ってられるのだろう。春休みの子供達は留守番をしているが、もう割と大きい2人だからそれ程の心配もない。

束の間、親としての自分から離れられる効能もあるのかも知れない。

とりあえず姉からのメールに返信。姉と私は前にも書いたようにそれほど仲良くはないのだが、親の老齢化と共に、話すべき内容が多くなってきた(それに伴い、段々と仲良くなりつつある。有り難くも)

まだ呼ばれないので、持ってきた村上春樹の文庫本を読む。カバーがない『ダンスダンスダンス』の上。

自分の本棚を見たら何故か上だけが二冊あったので、ひとつ持ってきたのだ。(ちなみにどちらにもカバーは無かったし、何度も読んだはずの下は、どこにも見当たらない。

読んでいると、所々蘇ってくる部分があるのも面白い。本の中の懐かしい世界に再会し、それを読んでいた昔の自分にも同時に会っている感覚。

少し読んだら、手を休めてまた別の事をぼんやり考えている。いつの間に。

思考はフラフラと行ったり来たりし、普段は行かないような領域に彷徨う。それは水槽の中のクラゲのように。

例えばそれはご飯のこと。

【和えもの】って手間でなかなか作らないけど、主に野菜を使うから身体に良いよな。実は和食の基本でもあるらしい。

野菜嫌いの旦那も歳をとってきたら結構食べるようになった事だし、もっと作ろう。今まではサラダが多かったけど。

彼は胡瓜やセロリが食べられないから、もやしやワカメや白菜にしたらいいかな。などなど。

そうしてみると、、決して主役にはなり得ない副菜なのに、世の中の食卓に今日もたくさん上ってる筈の【和えもの】って。

実は主成分が愛情なんじゃないか?…

とか。

なぜ子供の幼稚園時代のママ友からの仲間外れって存外、辛かったかというと

(そもそも友達少ないからそんなの平気かと思った)

奴らはご丁寧にも、一旦仲間に入れるフリをしてから、仲間外れにするからだ。何故だろうね。

だから余計に傷つくんだな。初めからその輪に入ってなかったら大丈夫なんだもの。

それって、嫁の立場の人が、婚家の人に意地悪されたら必要以上に傷ついてしまう構造とよく似ている。


しかし、そもそも、もともと


私はひとりなのだ。それは自然なことだし私に必要なことですらある。だから今更仲間外れなんて気にする必要もなかったのに。

家族がいるし孤独ではないけど、孤独と似ている感覚は小さい頃からいつもそこにある。私の心の中まで入れる人はいないし。

子供は近い存在だけど、大きくなるまでの預かり物だと思ってるし、旦那はそもそもが他人だ。でも家族は私にとっていま1番大事だし、求めて得ることが出来たものでもある。

孤独は嫌だと思いつつ、ひとりでこそ私だと思うときもあり、一体何なんだろ。。私は本当は何を望んでるんだろう。

村上春樹がどこかで、孤独は勝ち取るべきものだと言っていた。そんなようなものかも知れないな。

などとフワフワと思考が彷徨わせていたら、名前を呼ばれた。返事をして文庫本をカバンにしまう。彷徨った思考も取り込んで一緒にしまう。


帰りは、昼休みの旦那と待ち合わせて好きなお店の担々麺を食べた。頑張って病院にいったからね、自分にご褒美。待ち合い室は好きだけど、診察はやはりイヤなんです。。

ポイントカードが2枚溜まってて、なんと2人分無料になった。

旦那が

「いつも整理なんてできてないのに、こう言うのとか(ポイントカード)大事なのは出来るんだね」

と笑った。


本当にそうなのだ。いつもすまんの、と心で思う。

駐車場から別々の車で出る時、旦那からだいぶ遅れていたら、「なかなか車が出てこなかったけど大丈夫?」とラインが来た。赤信号なのか、そちらこそ運転に気をつけて欲しい。

私は確かに孤独かも知れないんだけど

近くで見ていてくれて、いびつな私を許してくれてる人がいる。

私達は初めから理解し合えた訳ではないし何度もぶつかったけど

時間をかけて擦り合わせてここまで来た。

それってなかなかに、そして充分に奇跡的なことじゃないか、

と思ったし、改めて大事にしようと思った。




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