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でくの坊だから見えるもの『イーハトーボの劇列車』

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。(『注文の多い料理店』序文より)

劇団こまつ座の『イーハトーボの劇列車』を観ました。

宮沢賢治。彼が夢見た世界の一部を垣間見ることで、気づいたいくつかのこと。

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今、私の気持ちは研ぎ澄まされたものに向かっているようです。
ピュアで、まっすぐで、切実で。
足元にあり、自分の周りにまとわりつき、そして、骨肉になっているものに気持ちが向いている気がします。

それは数学だったり、科学だったり、哲学だったり、文学だったり、歴史だったり。

幼い頃に学んだことは、“今この場所”を説明するための言葉であり、見つめるための視点であったのだとひしひしと感じています。
落書きばかりの教科書と外ばかり見ていた15の私が聞いて飽きれるほどに。

なんだかダサい表現しかできないけど、教科書にあることが沁みるのです。

大人になってハッとする多くのことは、もしかしたら、いつかどこかで触れていて、当時はその意味に気づけず、そのまま大人になり、いつの間にか忘れてしまったことなのかもしれない。

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でくの坊な私は、本日18時30分。上映開始のブザーが鳴り、出演者による朗読がはじまるとハッとした。
彼らが朗読したのは、冒頭で引用した『注文の多い料理店』の序章の言葉。

小学生のとき、“いちばんすきなお話”として選び、中学生、高校生のときその奥深さを知り、大学生のとき創作のヒントにした言葉。


けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。(『注文の多い料理店』序文より)

いつか、そんな文章を描けるひとになりたいです。
そして、そういう世界に気づけるひとになりたいです。

“でくの坊”だから見えた夢があり、書ける物語があり、描けるユートピアがあったのだと。


#舞台 #井上ひさし #宮沢賢治 #レビュー #ひとりごと #コンテンツ会議

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