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日本の中の、小さな異国

半年ほど、国際色豊かな家に住んだことがある。

と書くとだいぶ昔のことのようだけど、ほんの半年少しくらい前のこと。

関東首都圏にある最大50人が住める規模のシェアハウスで、入居者の3割くらいは外国人だった。

その家に住んだ期間は短かったし、少なくとも2週間に1回は実家に帰って泊まったりよく旅行もしていた時期なので、過ごした時間はもっと短い。
でも、とても濃いというか、わたしにとって大きく何かが変わった時だったと思う。

最初は、毎日旅行してるみたいだった。

他人と水回りを共有するのが初めてで、キッチンの使い方も慣れないながら、「インド人ってほんとに毎日カレー食べるんだな」と思った記憶がある。

わたしはほとんど英語が分からないので。
(想像以上に全く意味が分からなかった!)英語が普通に喋れる日本人と外国人のシェアメイトの中にいると、みんなが何で笑ってるのか分からないこともしばしば。

外国人の中には難しくない会話なら日本語でできる子も結構いたので。
そこにすっかり甘えて、日本語でずっと貫き通した。
(さすがに初めて日本に住む外国人には、英語で挨拶したけれど)

「日本語ちょっと分かります」レベルのシェアメイトと会話が噛み合わず、不毛な会話を繰り広げていると。
普段日本語では喋らない(でも平仮名の読み書きできるし、絶対日本人の会話も全部分かっている)メキシコ人が間に入ってくれたりもした。


英語力が低すぎる代わりに、日本語は積極的に教えたように思う。

「わたしがただいま、って帰ってきたから、Aはおかえりだよ」とか
「last yearは去年、this yearが今年、next yearが来年」とか、自分が当たり前に知っていることを教えるのはたのしい。

若い留学生は日本語に興味津々なので、「◯◯はJapaneseで?」と聞いてきたり、
漢字も学校で習うらしく少し覚えていて、
わたしが調理していた〈北海道味噌鍋〉の素のパッケージを見て「あ、マイニチ、マイニチ」と言った時は驚いた。
(北海道の「海」に毎の一部が入ってるから。結論言っちゃうと違うけど、よく漢字覚えられるな〜と尊敬)

自分が行ったことはもちろん、誰かが行ったのも聞いたことのない、遠い異国の土地で育った子たちと、
長い人生という旅路の一瞬だけれど、ものすごい確率で交わった点(時間)は奇跡のように思う。

その一瞬の点で交わった子たちの中にはもう母国に帰った子もたくさんいて。

彼らの中の日本の思い出に、わたしの記憶が残るかは分からないけど。

一瞬を同じ場所で過ごした奇跡を、とてもありがたいなと思う。

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