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愛なのか、エゴなのか~「大切」にかたちはない~

G.W中、気になった映画を映画館で観てきました〜。
(アマゾンプライムとか有り難いけど、やっぱり映画館の方が味わい深いよね!)

エッセイストだった高山真氏(2020年没)の自伝的小説が原作の『エゴイスト』。


14歳の時に母を亡くした浩輔は、田舎町でゲイである本当の自分を押し殺して思春期を過ごし、現在は東京でファッション誌の編集者として働きつつ自由気ままな生活を送っている。
そんなある日、浩輔は母を支えながら暮らすパーソナルトレーナーの龍太と出会う。
浩輔と龍太はひかれ合い、時には龍太の母も交えて満ち足りた時間を過ごしていく。
母に寄り添う龍太の姿に、自身の亡き母への思いを重ねる浩輔。しかし2人でドライブの約束をしていた日、龍太はなぜか現れず……。
(映画.comさんのあらすじより抜粋)

タイトルの「エゴイスト」は、浩輔が自身のことを揶揄して表現したものだ。と、ネタバレ感想でどなたかが言っていたけど。

(ストーリーの後半で、事態が急変することが2つあるんだけど。
浩輔は自分のエゴからとった行動が、大切な龍太と龍太のお母さんの人生を変えてしまった、と自分を責める。)

自分の感情・行動が、愛から出たものか、エゴから出たものか。

それは、人間には絶対に分からない。と思う。

いや、ヒトが認識できる範囲のものは、何をとってもエゴでしかない。

例えそれが、どんなに美しかったり、純度が高そうに見えたとしても。

でも、それでいいのだ。

それが人間が精一杯人間やってるってことだし。

「エゴイスティックに、自分勝手に生きろ」
と言っているのではなく。

結局、どんなに人のため、相手のためを想っての行動だったとしても。

どこまでいっても、エゴの範疇でしかない。

だからといって、そのエゴに価値がないとか意味がないのではなく。

価値や意味づけはまたそれぞれの、エゴがしていくのだから。

自分のエゴが、どのように展開していくか。

その「結果」に固執しすぎず、
降参して、
大手を振って、生きていくしかないのではないか。

(固執、もエゴの特徴だから。「降参」なんてエゴには死んでも、やりたくないんだけどね〜…)

一見、LGBTQに特化した作品かと思いきや(もちろんストーリー上の軸ではあるけれど)
家族・生き方・あり方など、自分を取り巻くの隅々まで、
じわりと考えさせられる作品でした。

「大切な人なら、男性でも女性でもいいじゃない」

龍太のお母さんが、龍太に、浩輔に伝えたこのことが(正確な台詞は違ったかもしれない。)
すべての答え(救い)のように感じた。

「大切」に理由なんてないのだ。

理由もなく、
根拠もなく、
秩序もなく、

それでもみんな、
それぞれの「大切」があって、
それぞれのやり方で、
その「大切」を生きていく。

もうそれだけで、十分なのだ。

ちなみにカバー画像は、画像サイトで「エゴ」で検索したら、エコ活動みたいなものがいっぱい出てきて^^;
「自我」で試しに検索したら、鹿の画像がたくさん。。
たくさんの鹿から、可愛い!と感じたものを使わせてもらいました(^^)





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