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あの頃、すべてに必死だったね・・・2

こんにちは、週末は「あの頃、すべてに必死だったね・・・」を更新するのが目標です
目標なので必ず!絶対!の、約束は出来ませんが…
それでは早速本題へ

・無意識の自傷

保健室という逃げる場所も出来ましたが、そこは1時間しか使えません。体を丸めて眠っていても「愛音さん、体調はどう?」ベッドのカーテンを開けて声をかけてくる保健の先生
はあ、帰らないと。あのおもちゃ箱に戻らないと・・・。

「まだダメです」とは言えません。言ったとしてもその理由を言ったら「保健室は逃げ場じゃないのよ!」と言われて、使えなくなるのが怖いからでした。
のろのろ起き上がって上履きを履いてブレザーを着ると先生に頭を下げておもちゃ箱に戻ります。

1時間寝たはずなのに体は重たい。1階にある保健室から3階にある2年の教室。朝と違って重たい教科書は背負ってないのに足は上がらないし、手すりを頼りにしないと上れない。
やっぱりおかしい。体力はこんな急激になくなるの?
それでも心臓はドキドキして、破裂するんじゃないかと思う時もあるんです。

「(心臓が破裂したら死んじゃうね・・・)」

教室の前で深呼吸する余裕はありません。呼吸が完全におかしいので大きく息なんて吸えない。ドアを引いて中に入って自分の席に座ると覚悟をしないといけない。おもちゃ達が自由に遊ぶ空間でどうやって座っていれば平和なのか。

教師が入り授業が始まります。怖い教師の授業は静かだけど、そんな教師はそう多くないです。だから結局手紙を回したり、喋って、寝るのが普通に変わっています。
「どうすれば50分おもちゃ達を気にせず過ごせるの?」
ざわめき、笑い声、叱る声・・・
『なにか』に集中しようとでも考えたのかいつの間にか、シャープペンで左腕に傷を作り始めていたんです
芯は出さずに、先端で皮膚をひっかく、ひっかく、ひっかく、
すると少しの痛みと赤いみみずばれのような傷が何本も腕にできます。
これに集中すると不思議とおもちゃ箱をひっくり返した場所にいることを少し忘れらました

初めての自傷行為はシャープペンでひっかいたことだと記憶しています
ちょっとの痛みと赤いみみずばれは現実から非現実へ意識を連れて行ってくれました


・初めてのSOS

14歳の冬休みも人生の転機と言えます。宿題で生活記録ノートがありました。そこには一日をどう過ごしたかなど書いていくもの。
私はここぞとばかりにクラスへの不満を書きました。

「学校を思い出して辛い」
「家にいるのに苦しい」
「あと〇日でまたあの生活に戻るなんて嫌だ」

大量の不満を書き続ければさすがに私に起きた異変に気付いてくれる。沢山SOSをストレートに書けばどんな人でも、それがたとえクラスを鎮められない教師でも。

3学期初日宿題の生活記録ノートを提出をしたときドキドキしました。担任がどんな風に受け取ってくれるのか?
1つ確実なのは3学期にはこのクラスはおもちゃ箱から普通の教室に戻れる!!
SOSの詰まったノートを提出したけれど体と心の異変は改善されません。始業式だから授業はないけれど、だからこそ教室内は楽しいお喋りとふざけて遊ぶ人たちで溢れていた。
「(気持ち悪い・・・でも、もう終わる。だって沢山SOSを書いたから全部終わる・・・!!)」

3学期2日目、朝のホームルームが終わると担任に「保健の先生と話したいです・・」「じゃあ一緒に行きましょうか?」コクンと首を動かすと並んで保健室まで向かいました。
「クラスにいるの、辛くなっちゃった?」
よかった、先生読んでくれたんだ。心がほんの少し嬉しくなりました。
それなのに・・・
「私はね、休みの間クラスの良い事ばかり思い出していたわ!」
担任の顔は明るくニコニコしていました。この時の声と表情は忘れられないです。

先生はどこを読んだの?
あれだけ私は苦しい、辛い、書いたんだよ!?
クラスが嫌とも書いた!
学校に戻りたくないとも書いた!
それなのに、それなのに、なんで幸せそうな表情して私へ向けてその言葉を言えるの!!

廊下を歩きながら叫べるものなら叫びたかったです。でも言葉が何も出てこなくて、叫べませんでした。足は更に重たくなり、保健室までよく歩けたなと今も思います。
保健室に着くと担任は保健の先生に「愛音さんがお話あるそうです」と言って出ていきました。
「どうぞ、座って話しましょうか?」

椅子に座って向かい合うと、言葉を発する前に涙が止まらなくなりました。ボロボロ泣いて、話すなんて出来ません。多分、無理やり言葉を絞り出して教室のことを伝えたのか、保健の先生が私を見て予想した言葉にうなずきながらのやり取りだったのか、実はほとんど記憶にはなくて。
それでも涙が落ち着いたころに言われた言葉は覚えています。

「だから2学期よく保健室に来ていたのね。気が付いてあげられなくて、ごめんなさい」

これを聴き止まりかけた涙は、またボロボロと流れたのは書かなくても分かりますね。
SOSは担任には届かなかったけど、何度か逃げ込んだ保健室の先生にはしっかりと伝わりました。

・保健室登校が始まった

保健室で号泣した次の日から保健室登校を選びました。3階の教室まで上がらず、下駄箱も同級生たちと会わないために教師たちの下駄箱を特別に使わせてもらいました。
毎日保健の先生と話して、読書をして過ごしました。時々教科書も開きましたが、クラスを思い出し気持ち悪くなってしまい、涙まで零れてきて無理にさわるのをやめました。

その保健室登校では嫌なこともありました。
まずは学年の教師が様子を見に来て、元気か?と声をかけるけれどそのあとには「中学を卒業したら今よりも大変なことは色々あるぞ。先生だって同じように大変なことがあったな。そうだなあ、大学受験のとき・・・」

あれはちょっとした説教だったのでしょうか。説教だとして、なぜ私にはするのでしょう?
保健室登校をしてから荒れていたのが私のクラスだけでなく学年全体だったと聞きました。
他の生徒へは個人的説教はしたのでしょうか。それとも私は反抗しないで静かに話を聞くので説教しやすかったとでもいうのでしょうか?

イライラしました。悲劇のヒロインになっていた部分は正直あります。
なんで被害者の私には説教して、実際好き勝手している生徒には何も言わないの!?
好き勝手していてもおもちゃ箱にいるからいいの!?
私はおもちゃ箱に入ることすら拒絶したから問題児なの!?

この面談のような説教の後には保健の先生の前で泣いて、ベッドに潜って体を丸めて、左腕を沢山ひっかきました。感情の行き場がもう左腕にしかなかったんです。

休み時間になると他のクラスの生徒たちが保健室に遊びに着ます。友達じゃないですが委員をやったり、生徒会副会長であった私を知らない同級生はきっといない。だから声をかけられます。
「愛音さん、鞄あるけど、ずっとここにいるの?」
「・・・うん」
「じゃあ授業受けなくていいんだ!羨ましい~、私も不登校になろうかなー!」
ここまで言われると先生が教室に戻りなさいと言ってくれました。
バタバタと遊びに来ていた生徒がいなくなると泣きました。悲しいからじゃないです。悔し泣きです。

授業を受けなくていいのが羨ましいの?
私はただ普通に授業ができる環境を望んでいた!
それを壊したのはあなたたちやその友達なの分かってる!?
じゃあ不登校も、保健室登校にでもなればいい!
代わりに普通の授業ができる環境を私に今すぐ返して!

こんなことも重なって保健室登校する日も減ってきます。家で死んだように眠り続けたり、逆に一睡も出来ない日が続いたり。もう心のバランスはめちゃくちゃでした

*愛音*


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