これからも簡単に負けたりはしない
こんにちは、愛音です
求人票を見てみるとそこには高卒と書かれている
ほとんどの求人票、私が見たものの中には、高卒、と書かれていました
障がい者雇用求人なので配慮事項も記されてます
時短可能、とか、出勤時間調節可能とか、
しかし、いかに社会というものを舐めていたのかが、求人票とにらめっこして痛感しました
障がい者であろうと、高校は卒業するのが当たり前
そうじゃないと仕事はないし、世の中生きていけない
これが社会の常識だ!
そんな社会の言葉を受けて何かが溢れる気持ちになりました
障がい者であろうと、様々な理由で不登校を選択するしかない人生であったとしても、社会の常識として《高卒》は求められていく、働きたかったら、仕事をしたいのなら高校は出ておきなさい、
普通に考えれば少しも、全然、おかしくないのでしょう
これは一般常識の範囲内なのかもしれない
でも障がい者で、元不登校であり、元引きこもってた私からすると《おかしい》と思ってしまう
ここから頑張ろう!と這い上がった気持ちを高卒以下であることを理由に折られてしまう
高卒資格のない障がい者はA型とかB型事業所でしか働けない、そう言われている気持ちにもなる、もちろんA型もB型も貴重な経験が出来る場所なので好きですけどね
高認を取得すれば高卒扱いになるよ?
違う、この気持ちは資格云々じゃないんだ
企業側には勿論正当な理由がありそれを定めていることなのは理解できる
高校3年間通い、学びを受けて人間関係も学んで、大人として成長していく通過点に高卒があり、その後に更に進学して自身のスキルアップやより良い人間関係を築く場になるのかもしれない
しかし私には学校に通っていた方の苦労や大変さは分かりません、それと同じく、学校に通わずに成長してきた私のような人の苦労や大変さが理解されていかない
大学を出て就職された方から見れば、障がいがあるだけで高卒未満の私が同じ会社で働いていたら、何かしら良くないことを思われるのかもしれない
みんながみんな、障がい者雇用に深い理解があるなんて最初から思っていません、世の中そんなに優しくないことは学びました
働きたいのなら高卒は当然、そのために通信制とか定時制とか、選択肢は広くなったようにも見えます
でも私には出来ないことでした
フラッシュバックに怯えながら、血反吐吐いてまで、そこまでして高卒資格は取らないといけないのだろうか?
働くために、お金を稼ぎ、困らない生活するために…?
自分の歩んできた道を後悔していない、高卒資格のない道を後悔してない、たとえ就職先を見つけるのが困難な状況に立たされてる今もだ
バカだと思う、愚かだと思う、あの時、高校さえ出ていればもっともっと良い条件の就職先を選べたのに、そんな後悔をいつか、する時がくるのかもしれない
それでも今の私はバカとも愚かとも思わない、この道を歩いている私へちゃんと選択していると言える、自分の過去に蓋をして現状を隠してまで仕事をしたいか?そんな働き方で本当に続くのか?血反吐吐いて高卒資格を取る人生が私には必要なのか?
早い時期から自分軸で生きてきた私は一般常識を求められる社会とは合いにくいです、求人票とにらめっこして、応募条件高卒と目が合えば、目線をそらさないといけない
これが一般常識、社会の当たり前だと言われれば受け入れます、私はその当たり前に該当せず、一般常識からも外れている存在というわけだ
それなのに今日も生きています、私と父の変わらない生活をしているんですよ
朝起きて、洗濯して、ご飯食べて、服薬して、掃除して、洗濯が乾いたらそれぞれを畳み、夕飯の支度が待っている
人生は誰のために動くか
それは私と私に関係する人たちの幸せのために動く
だから誰かに言われたから、自分の心に反した動かし方をして良いものじゃない
人生に嘘はつけない、その嘘は通らないよ
*愛音*