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ある友人が私を非難して離れていきました。
それまでは、私に好意を持って信頼してくれていたのに。


友人は何を感じて、何を考えて、遠ざかっていったのか。
心理学などを学んでいくなかで、わかってきたことがあります。



結論から言うと、友人は、相手が「自分が思うとおりの人でない人を遠ざける」ようです。


今から5年ほど前のこと。
父がくも膜下出血で倒れて意識を失ってしまいました。
すぐに息を引き取るかもしれないし
しばらく眠るような状態が続くかもしれないと、医者に言われました。



ちょうどそのとき、私はNew Yorkに住む100歳近いGrandmaに
会いに行くことになっていました。
彼女は、軸のある考えをもっていて、
凛として美しく、そして愛に溢れていて、ほんとうに大好きでした。



この状況で行くか、行かないか、かなり判断に迷いました。

かき集めた判断材料は、このようなこと。


同行者がいないと会いに行くことができないので、
この機会を逃したら二度とチャンスは来ないかもしれない。
しばらく父は息をしている可能性だってある。


父とは年中、晩酌したり、出かけたりして一緒に過ごす時間が多かった。
「いつも幸せだよ」と、ニコニコしながら美味しそうにビールを飲んでいた。
こうして父が元気な時に、たくさんの想い出を作ってきた。
意識のない人が、この世を去る時に手を取ることができたら
それはとても望ましいことだけど、満足するのは父よりも自分ではないか?
まるで、自分が生前に親に償えなかったことを
息を引き取るとるときに、手を握って穴埋めするように。



このように考えて、私は「機会」を選びました。
Grandmaに会いに行くことにしたのです。


きっと最初から私の無意識の中では、この結論を出していたと思います。
私は、自分の「価値観」を優先したかった。
だから上記のような理由を並べて
私は正しい判断をしたのだと、思いたかったのでしょう。

そうして、私の判断を知った友人は、親が倒れたらすぐに飛んでいってずっと寄り添うべきだ。

私の行動が信じられないと、私から離れていきました。




このことは私にとってとてもいい学びとなりました。



これは、彼女と私の価値観の違いから起きた問題でした。


彼女は彼女の価値観で私をみていた。
彼女の思う通りの人間でない私を遠ざけたわけです。


つまり、自分の思い通りの人間であることを
他人に求めていたようです。

これが反面教師となって
私は他人の価値観を受け入れはしないけど
受け止めることができるようになってきました。


なるほど、そのような考え方があるのか。


さらに、どのような経験や想いからくるのだろう?と興味が湧きます。
そして、それは尊敬に変わります。


みんな違って、みんないい。

心からそう思えるようになってきて、
私の心は豊かになってきて、どんな個性もいいな!と感じます。



そういうわけで、私はその友人の思い通りの人間になる必要はありませんでした。


自分の心に問いかけて、自分が大切にしている価値観を優先できる人は

自分を幸せにできる人なんだろうと思います。

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