見出し画像

こんな遺された財産がある

私の母が召天して半年が過ぎました。

母の日に
お花を贈ったり
一緒に食事をしたり
お花を観賞しに行ったり

当たり前のことだけど、
もう一緒に過ごすことができないという
喪失感で胸がいっぱいになった。

私を生んで、育てて
そして、私が成人して独立してからも
いつも繋がっていた。

私の人生の中でかけがえのない大切な存在だった。

私の突拍子もない宣言に
動じることもなく、むしろ味方になってくれた。

「私がやりたいようにやるのがいいわよ。
 必要なら協力するから。」
と、いつも賛成して、背中を押してくれた。

昭和初期の時代の人とは思えないほどの
柔軟な考え方を示してくれた。
おかげで可能性はどんどん広がっていった。

たとえば、

海外で生活したこと

アメリカ人と結婚したこと

子供を預けて海外旅行に行ったこと

夫と離婚したこと

次男を未婚で出産したこと

思い返してみると、すべて賛成してくれた。
きっと、心の中では不安があったことと思うが
それを私に見せなかった。

母は、お金や宝石という目に見える財産を
たくさん遺してくれたけど

それ以上に、目に見えない、計ることのできない
たくさんの価値ある財産を
私が幼い頃から、時間をかけて少しずつ
教えて、蓄えてくれた。

これまで培ってきた財産を使って
今、私は必要な人に届けられるようになってきた。

母がとことんこだわってきたファッション。
お洒落ができないという方に
ショッピング同行して、似合う服をコーディネートして喜ばれている。

母が大好きでやまなかったダンス。
体がカチンコチンだし、踊ったことないけど
憧れている女性たちにダンスを教えている。

母がこだわったインテリア。
私のスキなテイストをふんだんに取り入れたデザインで
今、おうちをリフォーム中。

母は人との交流が好きで、多くの方に親しまれた。
私を育ててくれた周りの人たちに
私が還暦を迎えるこの秋に
「Thanks Party」を開く企画をしている。

母がここにいたら
自分のことのように喜んでくれただろうなぁ!

一方で負の資産というもの
つまり、私にとってプラスに働ないことも与えられた。

たとえば

それは危ないからやめたほうがいい

あの人はこうだから嫌だわ

というもの。

これは、私が培ってきた知識と経験で
違うものに変えることができた。

「危ないからやめたほうがいい」
私がやってみたいことだったら
できる方法を探せばいい。

「あの人はこうだから嫌だわ」
人の色んな側面に触れることは
自分のバリエーションが広がるから
嫌な面も興味深く思える。

こうして、自分でプラスに変えていけばいい。
私が、負の財産だということを認識して
私にとって、よい学びとなってきた。

母が私に授けてくれたあらゆるものは
私の肥やしになっている

この母の日は
今の私を見つめて
母が私に遺してくれたことを
感じて、味わい
感謝する日となりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?