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無力感を感じる日々が少しずつ動き出した話

何か今までとは違った新しい事に挑戦するとき,つい弱音が口を衝いて出てしまうことがあると思う.「こんなことしたって無駄だ.」とか「無意味だ.」なんて言葉が溢れてしまう.そうやって挑戦してみても,うまく行かなくて変化しない現実に,自分は何者にもなれないんだと絶望してしまう日もある.

しかし,本当に何も変化しなかったのだろうか?何か自分が無意味だと思いつつ続けた結果で現実に影響を与えられなかったのだろうか?と考えたとき,そんなことなかったということに気づいたので今日はそんな話.

挑戦する前から諦めるようになったのはいつからだろう

新しいことを始めてもいきなりいい結果には結びつかないのは当然のことだと認識しているはずだ.しかし,僕たちはなぜかそれが未来永劫結果が出ないものと誤認識してしまうことも多い.もっとも,それが幼少期の立ち上がる練習だったり,言葉を喋るの練習や,文字を書く練習だったり,あるいはもうちょっと成長して自転車に乗る練習だったら,達成できない未来を想像して絶望するなんてことはなかっただろう.子供の頃には実現できない未来があるだなんてこれっぽっちも考えなかった気がする.サンタクロースはトナカイと共に空を飛んでいたし,お菓子のお家にはいつか住めると本気で考えていただろう.

それがいつからだろう.もしかしたら,自分には一生を賭しても身に付けられない才能があると思うようになっていた.やがて,それは覆らないこの世の定理であるかのように,挑戦する前の僕たちの頭に住み着くようになってしまった.

「どうせ自分になんか出来やしない.」「自分には才能がないから頑張ったって無駄だ.」といった諦めの言葉がいつも挑戦する前の迷っている頭の右上で聞こえてくるようだ.

少しでも出来そうなことは両腕に抱えて持ってきた

僕はそんな言葉が聞こえてくるときに,それでも挑戦するわけでもなく,かといってきっぱり諦めるわけでもなかった.つまり,選択することを保留にしてきたのだ.細々と続けて,いつかうまくなっていたらいいなと思って,全部両腕に抱え込んで,ここまで来た.おかげでどれも一応出来るというレベルには持ってこれたし,出来ることをたくさん集めて持ってここまで来た.もっとも,どれも一流には及ばないようなものばかりだったけれども.

その中のひとつに,ギターボーカルをするというものがあった.歌は小さい頃からずっと歌い続けてきたし,自分の中でも自分が歌いたい曲をどうやったらうまく歌えるか研究してきた.ギターも,たまにお気に入りの曲を弾いたりしていたから,ある程度のコードは覚えていたし,特別難しい曲でなければ,バッキング程度なら弾けるとたかを括っていた.

うまくいかない現実と直面した

あるとき,軽音楽部に大学にして初めて入って,ギターボーカルを担当した.スコアがあれば簡単だと思っていたが,実際は全く演奏できない自分と直面した.リズムはキープできないし,歌は他の楽器に負けてしまう.ピッキングはモタるし,簡単なフレーズならうまくいくかというと,ハシってしまっていた.全くうまくいかなかった.自分の演奏に必死で周りの楽器の音は全く耳を傾けれなかったので,ボリュームバランスもわからないし,自分が今どこを弾いてるのかも不安になって演奏がズレることも多かった.

根拠のない自信を持っていた分,大きく絶望した.僕には音楽の才能がないんじゃないかと思った.それでも,歌は好きだし,ギターは弾けるようになりたいとずっと思っていたから,いつまでも続けていた.

そして,才能以外に自分がうまく行かない理由を探すことにした.たとえば,他で時間を使っていて,ギターの練習時間が全然とれてないから練習不足なだけだと,少しずつ時間を増やしていくうちに,今まで全然弾けなかった曲が,フレーズが,難なく弾けるようになっていった.それが喜びだった.ほら,やっぱり才能がなかったわけじゃないじゃないか!なんて思ってたと思う.

そうやってなんとか自信を少しずつ取り戻しながら,ネットの生配信で楽器演奏をしてみようと思った.弾き語りしてる一般人なんてそう多いわけじゃないし,ツイッターのフォロワーもそこそこいるから,何人か暇つぶしにきてくれるだろうと思っていた.

でも,そんなことはなかった.視聴者数は0から1人の間を,たまにチラチラ動くだけで,基本的には誰も自分の生配信を聞きにきてくれなかった.たとえ,来てくれたとしても,すぐに離脱していくことが多かった.ああ,自分の演奏には意味がないんだなと思った.2回目の絶望だった.

それでも続ける理由が僕にはあった.それは続けていればやがて上手になるということが1回目の絶望からここまででわかっていたから.たとえ誰が聞いてくれることはなくても,弾き続けてみようと思った.誰かのために弾くわけではなく,称賛されるために弾くわけじゃなく,自分のために弾き続けてみよう.いつか上手くなった自分が「あのとき続けて良かった」と思えるように頑張ろうと思ってから,視聴者数をあまり気にしなくなった.それでも,誰かが聴いて「良かったよ」って褒めてもらいたいなとはいつでも思っていたけれども.

あらゆることに絶望して,自分の今の能力や誰かの称賛の声にも期待せず,ただ自分が信じたものをひたすらに続けてみることにしたのが,今の僕の戦略だ.

微力でも現実を動かす力を僕たちはいつも持っている

しかし,そんな絶望の果ての白黒の世界に,少しずつ彩りさしてきたことに気づいた.気がついたら淡いものの景色には色がついてきていたことに気づく出来事に出会った.

僕の演奏はTwitterではなく,Facebookの友達限定のクローズドな場所で生放送していて,その放送を全てアーカイブしている.だから,リアルタイムで見る人は1〜2人くらい.最初から最後まで付き合ってくれる人がまず居たのがとても救いだった.誰も見てくれないものだと思っていたから,まず見て,コメントしてくれることがとても嬉しかった(もっとも,それを期待して繋がりが強いFacebookで放送しているというのもあったがw).

しかし,意外なことはこれだけでは終わらなかった.友人の何人かが,自分の過去の放送をわざわざ視聴してくれて,感想をくれたりしてくれるようになったし,動画投稿に「いいね」する人が次第に増えるようになってきてくれた.そうやって一瞬でも聴いてくれる人や,反応してくれる人いたのは本当に嬉しかった.

それだけじゃない.一番びっくりしたのは,「僕の演奏を聴いてギター始めたいと思った!」だとか「ギター売っちゃったんだけど,お前の演奏聴いてまたやりたくなった!」と言ってくれる人が次々に増えてきたのだ!自分の拙い演奏が人の行動に影響を与えるなんて思いもしていなかった.ただ,お家時間のほんの一瞬の消費コンテンツになってくれたら,それだけで嬉しいと思っていた.無名な一人の人間でさえも,誰かの行動をわずかに変容させる力を持っているんだ!

僕たちは決して無力じゃない

多くの人はきっと何者でもない.名前は知られていないし,増してやステージの上で数千人〜数万人を感動させるような力は持っていないし,自分の言葉で大衆の行動を導くようなことなんてできない.

それでも挑戦し続ける姿や,その過程で出来た作品たちは,無駄なんかじゃない.僅かでも誰かの背中を軽くぽんと押せるくらいの力はあるんだ.誰かに影響を与えられるのならば,それだけで自分の行動には大きな意味がある.もともと誰にも影響を与えないなんて無理だ.生きていれば誰かに迷惑をかけることもあるし,誰かの心の支えになることもあるし,ふとした言動が誰かの行動をかえることにも繋がる.生きているだけで誰かに影響を与えるのならば,生きているだけで僕たちには価値がある

もし挫折した夢や諦めかけた夢があって,もし本当は今でも挑戦したいと思っているならば,たとえその挑戦が大成功しなかったとしても,起こした行動が周り巡って価値があったと思える日がくる.だからこそ,夢に向かって挑戦することは決して無意味なんかじゃない.

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