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生きているとは、紙一重

私には、不安障害のようなものがある。あれこれと先を読んでは心配になるけど、ほとんどの心配は不要なものだ。

これも私の特性と捉えて、いまはうまく付き合うことを選択している。でも、なんだかうまく行かないこともあるし、「また心配になりすぎているな」とただただ自分を客観視していることもある。

この特性がなければいいと思うこともあるけど、こういう類のものは何かを守ろうとして備わっていることもある。またこんな私が出ているなと思ってやり過ごすなどしている。


最近の不安


最近の不安は、もっぱらコロナのこと。

正直、若い私たちが罹るのはそんなに心配していない。後遺症とかは嫌だけど、もう2年半も経つのだから、共存して自分の生活をしていきたいと思う。

でも、家族がいると話は別。特に今は祖母と同居をしていて、祖母のことはぜったいに守りたい。この思いが強すぎて、外に出ることを私に止めさせてくるし、外に出かけたあとは心配が先行しておばあちゃんに近づけない。


そこに最近加わったものとして、車への不安もある。

先日家族で出かけた時に、タイヤがバーストしてしまって危険な目に遭った。幸いにみんな無事だったけど、強い恐怖感を体験した。だからしばらくは、高速を使ってどこかに遠出をしたくない。


生きているとは、紙一重だと思う


私には、強迫観念のようにこんなものがある。「生きているとは紙一重」ということ。

生き続けているって、簡単ではないと思う。さっきまで生きていた人が、何かをきっかけにふと消えてしまうことがある。

何かが何なのかはその時によって違うけど、人の命ってそんなもの。いつ消えてしまうかわからないという思いがある。


なぜこんな話を不意にいま思い出したかといえば、ちょうどさっき事故のニュースを見たから。

私が昨日乗ったバス、時間も似た時間のもの。普段なら聞き流してしまうようなニュースだけど、他人事に思えなかった。

コロナのこともそう。万全な状態とは言えないまでも、元気に生きてくれているおばあちゃんを、コロナで失いたくない。

この思いがうちの家族にも私にも満ちていて、ちょっと強すぎる不安が立ち込める。


私の不安障害は、家族や周りの人の命を守りたいという願いを持っている。そんなふうに捉え直した今日だった。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️