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ドイツワーホリの記録|フリーランス1年目31歳ギリホリの1年

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ドイツワーホリの記録を始めます。ドイツに来るために、大手企業のマネジメント職を手放し、フリーランスのライフコーチになりました。やりたいことを妥協しないをモットーに、韓国留学を経由…
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2023年2月の記事一覧

日本語を混ぜたくらいのドイツ語がちょうどいいのかもしれない

ドイツ語と日本語を勉強する人が集まる場があると聞いて、学校終わりに参加をしてきた。夕食を食べながら約3時間、予想よりも長く滞在した。 程よくゆるくて、自然とどちらの言語も話し、楽しい時間を過ごした。たどたどしくても、私はちゃんとドイツ語を話せた。 こういう場での縁は嫌いじゃない。……と思えるのは、私がコミュニケーションへの苦手意識を克服したからなのだろう。 まだ3か月しか住んでいないのに、ドイツ語がしゃべれないことに焦る私がいる最近。 今日思ったのは、ドイツ語だけの会

コーチの私とありのままの私が混在するとき

私の仕事はライフコーチで、聴くことを仕事にしている。私はこの在り方がすごく好きで、コーチングを身につけたら私自身が生きやすくなった。 だけど、いまでもたまに混乱をすることがある。お仕事としてのコーチの私と、プライベートのありのままの私をどう出し分けるか。 特に、まだ関係性の浅い相手の場合、コーチの人格を出してしまったほうがコミュニケーションが楽になる。 だけど、その関係性が長く続くものになる場合、私はコーチの人格で居続けることはできない。 コーチになって1年と4か月、

どんな場所にも二面ある、あとは私がどう受けとるかだけ

楽しい週末の時間を過ごした。数日前から楽しみにしていた場に参加した今日だった。 でも、一方でモヤモヤが発生した。その場に対してのことではなくて、その場で得た情報に対して。 何かといえば、ベルリンについてのこと。目を背けていたけれど、この場所にも危険と困難がある。そうなんだよなぁ。 ベルリン生活4か月目を目前に、嫌な事実から目を背けたい気持ちだけではやり過ごせなくなってきた。 いまの私はベルリンが楽しい。たった3か月だけど、心からここが楽しい。 一方で、少し前に特大の

ベルリンに暮らして3か月、呼ばれたので引っ越してみる

この1週間のあいだに、1つの大きな決断をした。それは、この家を出て、ひとり暮らしを始めるということ。 本当は5月頃までこの家にいるつもりだった。だけど、急に新しい家に「呼ばれた」から、私は移ることにした。 こういう縁って、本当におもしろいと思う。縁はたいていが良縁だと思っているけど、正直まだまだ不安もある。きっと良縁でありますように。 ベルリンの暮らし いまの家はホームステイ形式で、学校の紹介で住んでいる。ここに住み始めてもうすぐで3か月、このままあと3か月はいるつも

戦争が始まって、1年が経ってしまう

2月24日は、ロシアが戦争を始めた日。母の誕生日なのでよく覚えている。 私は12月8日生まれ、弟は8月15日生まれ。日本で育った方なら、この日が何の日なのか、即答できる方が多いのではと思う。 ついでにいえば、末っ子の誕生日は平成の天皇が即位をした日。私たち家族のこの縁はなんだろうと思わずにはいられない。 ともかく、ロシアが戦争を始めてから1年が経ってしまう。戦争とは、やめるのがもっとも難しい。心の痛む、とっても悲しい新たな歴史のこと。 あるシリーズを見た 少し前に、

顔ほどの大きさのベルリンのケバブを食べきれるようになってしまった私のこと

旅行でベルリンに来ていた頃、滞在中に一度はケバブを食べた。だけど、ベルリンのケバブの大きさは有名で、昔の私は食べきれなかった。 1個をランチとおやつにすることもあれば、夕食と朝食にすることもあった。それくらい私には多くて、一食では食べきれなかった。 だけれど、最近の私は一食で食べてしまうようになった。たいていはランチで。 おかげで夜はお腹がすかず、変な時間の夕食になってしまう。それでも、ランチの一食で食べきれてしまうのだ。 私はとくだん少食なわけではないと思う。特にお

ベルリンに長く住む準備を始めた

ベルリンに住み始めてもうすぐ3か月。ここに長く住む準備を始めた。 私はワーホリビザで来ているので、一旦の期限まではあと9か月。でも、その先も数年は住み続けたくて、そのつもりで準備を始めた。 手始めは、家。その先に仕事、ビザ。その合間でこちらのコミュニティに参加したり、関係性を築いていく。そんな手順を予定している。 そんな今日は、家を見に行ってきた。まだどこにも見に行ったことがなかったので、今日が初めての家の内見。 まずは下見の下見くらいの気持ちで行ったのだけど、ラッキ

大きい夢を叶えるために、小さな願いはすぐに叶える

この2年ほど、私が大事にしていること。それは、すぐに叶えられる小さな願いこそ、妥協せずにすぐに叶えるということ。 例えば、食べたいものがあればすぐに食べる。ほしい物があれば買いに行く。これを、妥協せずに毎日やる。 なぜなら、私たちは忘れそうなくらいに次から次へと願いがわく。 何が食べたいとか、どこに行きたいとか、誰に会いたいとか。のんびりして叶えないうちに、前のものから忘れてしまう。 自分にはそれほどに願いがないと思うとしたら、それは気づいていないだけ。意識をして叶え

自分を責めてしまいたい時も、私は私を肯定する

今日の私は、朝からなんだか動けずにいた。授業は午後なのだけれど、いつものように早起きをして、ヨガや執筆、勉強をしたかった。 でも、体が重くて起き上がれなくて、結局2時間くらいベッドにいた。そんな日もあっていい。あっていいのだけど、気分は晴れない。 というのも、昨日嫌なことに出くわしてしまった。これは私が私を責めてしまいそうなもので、私が私を否定してしまいそうなこと。 でも、そうする必要はないことを、私は経験上知っている。むしろ私は私を肯定すべき状況にある。だけどそれが一

明日は集中したいから図書館に行きたい

体調を崩した日から1週間が経った。完璧にもとに戻ったわけではないけれど、もうすっかり体調は良くなった。 となると、次にやっていきたいのは生活のペースを戻すこと。特に仕事に集中できる時間を増やしたい。 体調不良の間に、私は私を休ませるために、韓国ドラマを見始めた。これにハマって今のところ毎日みているので、調子を整える必要がある。 だけれど、調子を狂わせるのが学校の授業。というのも、今週はちょっと変則的で、午後に授業があったりする。 毎日同じ時間に寝て起きたいし、毎日なる

体の調子は崩したけど、心の調子は崩さなかった私に気づいた

ドイツに住むようになって2か月半。私はもう既に3回も風邪を引いた。 特に今回の風邪はやっかいで、手もとに抗生物質があったから助かった。扁桃腺をとるくらいにのどが弱い私なので、風邪をこじらせるとやっかいだ。 だけどふと、こんなことにも気づいた。今回の私は、精神的な調子を崩していない。体はやられてしまったけど、心は元気なのだ。 自分ではこの変化に気がつかず、周りの方が教えてくれた。時に私のことは、身近な誰かのほうが私よりもよく知っている。 ▲体調によって心も崩していた私の

ベルリンでの日々が、穏やかすぎて心配になる

今週から授業に復帰した。片道30〜40分かけて通い、ドイツ語を勉強している。授業のあとは復習をして、翌日に備える。 家はホームステイ形式で、ホストマザーのいる時はおしゃべりをしながら一緒に食事をする。話せる言葉が増えてきて楽しい。 仕事も穏やかに進んでいる。新しいサービスを作ってみたり、探求してみたり。私のペースで、私のやりたいことをしている。 先週こそ、私は風邪を引いて3日間寝込んだ。だけどそれも受け入れて、穏やかに過ごしている。 ベルリンの日々が、「誰の目から見て

韓国ドラマでリハビリをし、ドリカムの曲に癒される

私はドラマというものが好きではない。映画も滅多に見ない。 なぜかといえば、目の前の現実のほうがもっと面白いから。とか、もっともらしい理由をつけて、映像というものをあまり見ずにきた。 (ネットサーフィンは1日に何時間もするので、映像を見ない理由なんてものは正直ない。) そんな私が、ここ数日は1日1本以上のペースで韓国ドラマを見ている。韓国ドラマは日本のドラマの倍ほどの長さがあるのに、だ。 私は韓国ドラマもほとんど見たことがない。私が見た韓国ドラマは、31年生きたうちに、

婚姻以外の同居という選択肢

風邪を引いたり体を痛めたりと、ここ数日は散々だった。その前の1週間ほどが最高に楽しかったので、そこと帳尻を合わせるかのような期間だった。 ここまでしっかりした風邪はひさしぶりだった。 日本から持ってきた薬の中から効きそうなものを探し、かろうじて持っていた抗生剤なども使って、なんとか今朝はそこそこの体調に戻っている。 もともと喉が弱い私には、抗生剤は欠かせない。ドイツで病院に行くのはまだハードルが高いから、持っていて本当によかった。 それで、この薬があれば完璧かと言われ