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気づいたこと日記

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日々の気付きを日記にして残していきます
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#毎日note

年間読書0冊の私が、2週間で1冊を読むようになった理由

小学生の頃、私は読書が好きだった。でもそれは、読書自体が好きというよりも、aimiちゃんすごい!と言われたくてやっていた読書だった。 そんな動機なので、大人になるとまったく本を読まなくなった。読むとしても、たいていが義務感で読んでいた。 でも今年になって、初めて『楽しく読む』感覚がわかった。年間読書0冊だった私が、なぜ読書ができるようになったのかを書いていく。 読書とは、『一言一句逃さず読むこと』では無い 私はずっと、読書とは筆者が書いていることをすべて理解するように努

自己肯定感は低いけど、自らの能力を肯定したい

みなさんは、自分ができること・得意なことを、自信を持って言えますか? 私は言えないタイプです。というかそもそも、ひとよりできるものを見つけられないし、誰かに褒められても素直に受け止められません。 厄介だなと自分でも思います。でも性格は急には変わらないし、厄介ながらも自分とそれなりに付き合ってきました。 だけど最近、これは自分の能力として認めても良いのかもしれないと思えるものがたびたびあります。 厄介な性格でネガティブな私がそう思えるようになったのは、完全に周りの影響で

30歳という分岐点

久しぶりに地元の友人たちに会いました。 コロナの影響でずっと会えていなかった友人たち。コロナがなければ年に3〜4回は集まっていましたが、今回集まれたのは1年半ぶりです。 近況報告をし合っているつもりでいましたが、会って話してみるともっと具体的な近況報告がちらほら。オフラインで会えることの重要さをまた改めて感じました。 30歳という歳 日々意識して過ごしているわけではないけど、やっぱり30歳になるということからは大きな影響を受けるのだなと思います。 例えば私。29歳にな

叶えたい未来を既に叶えている同年代には、正直嫉妬してしまう

あと少しで夏休み。夏休みは9連休なので、副業や勉強を思いっきり楽しもうと思っています。 今年の3月からライターの勉強を始め、7月からはコーチングの勉強も始めました。 いままでは一介の会社員でしかなく、自分のやりたいことよりも会社から求められることをしてきました。だから、自分がやりたいことを仕事にする挑戦を、30歳直前にして初めて行っています。 既に何者かになっている同年代に嫉妬する 最近気づいたこと。私が叶えたいと思っている未来を既に叶えている同年代の方に、嫉妬する感情

「選ばれること」で自己肯定感を満たさない私に

「選ばれたい」という感覚は、男性も女性も持っているものだと思います。 例えば仕事で認められて昇進したいとか、恋人に結婚したいと思われたいとか。 誰かに認められることは自尊心を満たしてくれるので、「選ばれたい願望」はひとのベースにあるものだなと思います。 「選ばれたい」と思っていた私 最近思うのは、「選ばれたい願望」に支配されないことの大切さです。 アラサーの女性として思うのは、生きてきて約30年、「選ばれる」感覚に影響されすぎてしまったなということです。 男性が結

コンプレックスを抱えるきっかけ

私の足には、小さい頃にクラゲに刺された痕があります。 すごくハッキリしているわけではないけど、そこにあるとわかる痕。ふくらはぎにあるので、着る服によってはわりと見える位置にあります。 このことはもちろん知っていますが、存在を意識したことは実はあまりありません。数日前、日課のヨガ中に痕が意外と濃いことに気づき、久しぶりに意識をしました。 クラゲの痕を見て思ったこと しっかりと見える場所にあるこの痕。小学生の頃に刺されたので、もう20年ほどここにあります。 だけど私はこの

気を遣う友人は親友ではないのか

最近気になることがあります。 どちらかが気を遣うことで成り立っている友情を、親友と呼んでも良いのかということです。 定義はひとそれぞれなので、思い悩むことではないとわかってはいる。だけど、親友を親友と紹介するたびに「私は本当に親友と呼んでもいいのだろうか」と考えてしまいます。 10年来の親友 私には大事な親友がいます。 ずっと女性の友人が少なくて、2人で会える友人はもっと少ない私。なぜなのだろうと思っていたのですが、スクールカーストの強かった中高時代のおかげで、女性

お互いの人生を観測する

みなさんは、お互いに人生を見ていきたいなというひとはいますか? 私は最近、そう思うひとが増えてきました。 「人生を観測する」という感覚はつい最近気づいたことです。 ただ単に報告をしあうだけではなくて、ここが変わったね、私たち大人になったね成長したねと気づき合う感覚。 また、自分が実現できない、違う人生を擬似体験する感覚が楽しいなとも思っています。 人生観測をし合っている友人 私にはもうかれこれ10年以上、お互いに人生観測をしては、自分と違う人生の話を楽しんでいる友人

じぶんの機嫌をとること

みなさんは、どんなことをしている時の自分が好きですか?逆に、どんな時は自分らしくないなと思いますか? 私は、誰かと対話することが好きです。でも、そんなにたいそうなことでなくても、私の好きなもので構成している私の家でただボーっとすることも好き。 「誰かと落ち着いて対話している私」も、「家でボーっとしている私」も好きです。 反対に、自分らしくないなと思うのは、落ち込んで自分を見失いそうな時。ソファに沈み込んで動けなくて、何時間も無駄に過ごしてしまう時の自分のことはすごく苦手

歳をとること

私には83歳の祖母がいます。 10年ほど前に祖父が亡くなってからずっとひとり暮らしだったけど、いまは実家で私の母たちと一緒に暮らしています。 私たち兄弟は共働きの両親に代わって祖母に面倒を見てもらう時間が多かったらか、みんなしっかりおばあちゃん子です。 体が弱くて働けなかった祖父に代わり、1人で働いて家族を養ってきた祖母。家を守っていて、私たちを褒めては叱ってくれる強い女性。そんなイメージをずっと持ってきましたが、いつの間にかしっかり「おばあちゃん」になっていました。

「今日の私も最高だ」と思って過ごす

みなさんは、自分のことをどれだけ肯定的に捉えることができますか? 私はずっと自己肯定感が低くて、自分に自信が持てず、些細なことでクヨクヨ悩んではソファに沈みこみ動けなくなるようなタイプです。 社会人になってからその傾向はどんどん強くなっていて、定期的に悩んでは体調を崩します。だからいま、考え方や働き方を変えようと取り組んでいます。 なぜ自己肯定感が低いのかと考えてみる 私の自己肯定感の低さはどこからきているのか。これは、学生時代に理由があると思っています。 ど田舎で生

私はわたしを幸せにすることにした

長いこと私は、幸せとは自然にやってくるものだと思っていた。 まじめに働いていたら幸せになれる。まじめに生きていたら恋人ができる。欲深くならずほどほどに、でも人から感謝されるように生きてさえいれば、自然と幸せがやってくる。そんなふうに思っていた。 もちろん、そうやって生きていても幸せだった。仕事はやりがいがあって仲間も好きだし、そこそこ好きな恋人もできた。趣味の旅行に行けるくらいにはお金があるし、充分な生活だと心から思っていた。 でも、それはどうやら違うらしい、幸せとは待

外面人間から脱すること

大学生の頃、私は外面人間だった。 中高をスクールカーストの強い学校で過ごした結果、うまく立ち振るまうひとはみんな外面で生きているんだと思っていた。 影響力の大きなひとの前では好かれるように振るまうし、そんなに重要でないひとの前ではそれなりに振るまう。 カーストの下のほうにいた私は、約束だと思っていたことが約束ではなかった出来事に何度も出くわしたし、外面とうわべで感じよく振るまう力も必要なのだと勘違いをしていた。 結果、大学生の頃には中身の努力というよりも「いかに外面を

評価をもらうためではなく、じぶんのために努力をすること

私はずっと、誰かに評価をされたくて努力をしてきた。逆にいうと、評価されづらいことは努力の対象から外してきた。 会社で評価されるから。お客さんに喜んでもらえるから。子どもの頃だったら、先生に褒めてもらえるから、親が喜んでくれるから。 私の行動の軸は、「他者の評価」だった。 中学生の頃の友人の話 中学2年生のとき、ある女の子と友人になった。 素朴で明るくて軸があって、人気のある女の子。何も取り柄がなく、基本的に他人軸だった私は、その子と行動をともにできるだけでとても嬉しか