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『82年生まれ、キム・ジヨン』を観て読んで

本屋で平積みされているのが目に留まったので、チョ・ナムジュ(斎藤真理子訳)『82年生まれ、キム・ジヨン』ちくま文庫、2023年を手に取った。

0歳3ヶ月の娘を片手で抱きながら思わず一気読みした。読み終わるや否や、アマゾンプライムで映画版も観た。

文庫版の裏表紙にはこうある。

キム・ジヨンの人生を克明に振り返る中で、女性が人生で出会う差別を描き、絶大な共感で世界を揺るがした<事件的>小説。BTSのRMらが言及、チョン・ユミ、コン・ユ共演で映画化。韓国で136万部、日本で23万部を突破。フェミニズム、韓国文学興隆の契機となる。

チョ・ナムジュ(斎藤真理子訳)『82年生まれ、キム・ジヨン』ちくま文庫、2023年

「82年生まれ」は私と世代も近い。物語の舞台はもちろん韓国社会で主人公も韓国人だけど、文庫の帯にある「これはわたしの物語だ」という言葉は読後の印象の本質を明瞭に表していた。

子どもの頃から学校の勉強を普通に頑張り、大学を出て、就職をしてバリバリ働いていたけれど結婚を経て出産を機に退職し、専業主婦になった主人公のキム・ジヨンは無自覚のうちに育児うつのような症状を発症していた。物語は、夫の勧めでかかった精神科クリニックの精神科医が記録したカルテの体裁でキム・ジヨンの人生を振り返る形で進められていく。

こんなあらすじを聞いて、惹きつけられる人は多くないと思う。

でもこの小説のすごいところは、主人公キム・ジヨンが生まれてから今に至るまでに降りかかった出来事が、どれもこれも少しずつ違う形で、女性であれば誰にでも経験があったことばかりだからだ。もし自分自身には経験がなくても、それは姉妹や友人や先輩や後輩の話として、私の人生のすぐ隣で起きている出来事たちである。

田舎の義両親の実家でひたすら姑の指示で料理をし続ける話。
学校の出席番号は男子が先で女子は後という記憶。
生理のナプキンがずれてもひたすら耐える話。
自分の母親が義両親から「次は男の子を産め」と圧力を受けていた話。
近所で評判の露出魔の話や塾で一緒の男子からストーカーされる話。
仕事の会食でおじさんたちの話のどこが面白いのかまるでわからない気持ち。
仕事ができる女性社員より仕事のできない同期の男性社員の方や早く昇進した話。
いつも使う女子トイレに盗撮カメラが仕掛けられていた話。
妊娠中に電車で妊婦様扱いされて心無い言葉を面と向かって投げられた話。
夫の「俺も手伝うから」という言葉に「手伝うって何よ」とカチンとくる話。
子どもとのお散歩中に150円のコーヒーを飲んでいたら知らないサラリーマンに「ママ虫」と陰口を叩かれる話。

こうした無数の些細な出来事の1つ1つは汎用で、ありきたりで、どこにでも転がっている。

いちいち気にしていたら生きていけないようなことばかりだけど、根雪のように心に積み重なって今のキム・ジヨンを形成している。結婚して、出産して、育児が始まって、その根雪が臨界点に達してキム・ジヨンは心を病む。夫は優しくて、妻を理解しようと懸命に関わろうとしている今時の夫像だ。にもかかわらず、結局はただ心配そうに傍観するしかできていない。

同書は、ただ出来事が客観的に淡々と述べられているだけで、キム・ジヨンの心理描写はほとんどなされていない。そして時折、統計データや実際に韓国社会で起きた事件などが本文中に引用されている。

それだけに一層、フィクションであるはずのキム・ジヨンの物語は非常に強力なリアリティを持つ。そして同時に、似ているようで異なる私の物語を語りたくなるのだろう。

私自身は85年生まれで、85年生まれの女性が生きた日本社会は同じ時代の韓国よりもだいぶ男女差別はマシだったと小説を読んで思う(韓国の方がいいなと思う面もあったけど)。私は大学院に進学したから新卒の就職組とは少し違う人生だし、子どもは生まれたけど退職はしてなくてただ育休中なだけ。だから、キム・ジヨンの人生と私の人生は全然違うはずなのに、この小説に出てくるキム・ジヨンの人生はなぜか私の人生にもあった出来事として胸に迫ってくる。少しずつ違うけれど、結局は似たり寄ったりのことが私の人生にもたくさんたくさんたくさんあった。

82年生まれのキム・ジヨンは、固有名詞で語られる個人的な物語でありながらも、8X年生まれや9X年生まれのXさんの話なのだ。

ところで文庫の帯には「女性たちの絶望が詰まったこの本は、未来に向かうための希望の書」と書いてある。だけど私にはどこに希望があるのかわからなかった。

小説の最後は、精神科の担当医自身の話によって結ばれる。物語はあくまで精神科医によるカルテ(キム・ジヨンの記録)にとどまり、治療も処方もない。

私が普通の40代の男性だったら、このようなこと(=自分はまるで考えも及ばなかった現代女性の世界が存在するということ)はついに知らずに終わっただろう。だが私は、大学の同期であり、私より勉強ができ、高い意欲を持つ眼科専門医だった妻が教授になることをあきらめ、勤務医になり、結局仕事を辞めていく姿を見ながら、大韓民国で女性として、特に子どもを持つ女性として生きるとはどんなことであるかを知っていた。実際、出産と育児の主体ではない男性たちは、私のような特別な経験やきっかけがない限り、そんなことを知らなくて当然だろう。

同書、188頁

キム・ジヨンを診察した「40代男性」である精神科医は「私だからこそこの患者を理解してあげられる」と言わんばかりだ。しかし最後、妊娠を機に退職を願い出たそのクリニックの女性カウンセラーについて次のように逡巡する。

1、2ヶ月休めばすむ話だろうに、あえて辞めなくてもと思ってすっきりしなかったのだが、考えてみれば出産時にまた休むのだし、その後も体調の問題や子どもの病気などで面倒なことになるかもしれない。むしろ辞めてもらってうまくいったと考えた方がいいだろう。(中略)イ先生は良いスタッフだ。(中略)急に彼女が辞めることになってみると、この病院の他のカウンセラーに引き継ぎする患者より、カウンセリングそのものをやめる患者の方が多かったのだ。病院としては顧客を失った事になる。いくら良い人でも、育児の問題を抱えた女性スタッフはいろいろと難しい。後任には未婚の人を探さなくては・・・。

同書、194-195頁

小説はここで終わる。私はこのラストに最も強烈な印象を抱いた。

お分かりいただけるだろうか。

キム・ジヨンの経験した女性の世界を受け止めるこの精神科医も結局は、「育児の問題を抱えた女性スタッフ」は「難しい」から、「未婚の人(女性)」に引き継ぐしかないという。でもその未婚の女性もまた、いずれ結婚して妊娠をして、同じく退職するのだろう。そうして子どもができたのをきっかけとして退職していく女性は第二、第三のキム・ジヨンなのだ。

「妻は自分より優秀だったけど家庭に入った。俺はそれを見てきたから女性の生きづらさが理解できる」という傲慢さを行間に漂わせているのこの精神科医は、キム・ジヨンの夫と同じく相手を理解しようと努めているものの、キム・ジヨンを少しも救っていない。分かったような口を叩く一方で次のキム・ジヨンを産み出している分、かえってタチが悪い。

このように小説では、社会にキム・ジヨンが再生産される無限ループを匂わせて終わっているので、絶望的な気持ちになった。

この精神科のくだりは物語の構成上とても大切だと思うけれど、映画版の方では精神科医は女性が演じており、最後は希望があるように描かれていて残念だった。物語のメッセージがまるで変わってしまう。これでは違う話だ。もしかしたら映画には観客を勇気づける要素が必要と判断されたのかもしれない。

週に5日は早朝から夜遅くまで1日中夫がいない家で家事と育児をするだけの日々が始まってから私はまだ3ヶ月だけど、この小説と映画で自分まで育児うつになりそうな気持ちになってきた。だからと言って今目の前に娘がいるこの人生に不満があるのとは違うし、この疲労は誰かのせいではないし、夫に「もっとこうして」というのがあるわけでもない。そういう意味で、私もまたやはり育児に疲れたキム・ジヨンに違いない。

おととい区役所で娘のマイナンバーカードを受け取るときに「保護者」ではなく「保護者の配偶者」の欄に自分の名前を書かさせられたことも、入れるかわからない保育園の情報収集を一人でコツコツしていることも、私の「自我をぺちゃんこ」(同書収録評論 p.228)にしていたのだと、同書を読んで言語化された気分だ。

だがこの作品が提起する問題の深さは、現在30-40歳世代の普通の女性が経験してきた性差別やジェンダー不公平などの社会構造的な闇の細部を顕微鏡のように克明に描いて代弁したことだけではない点もまた重要だ。

指摘しておきたいのは、訳者あとがきで紹介されているように、これはどこまでもマジョリティの話(文庫版訳者あとがきp.252)だということである。

どこにでもいるありきたりの話、というのはつまりマジョリティの話である。そこそこ恵まれているし、それなりに幸せを享受している。決して自分だけが不当に扱われたわけではないし、もっとひどい話はいくらでもある。「もっと大変な人たちはいくらでもいる(いた)。そのくらいで文句を言うな」(訳者あとがきp.240)というレベルの出来事が散りばめられている。

マイノリティの声なき声は拾われていかねばならない。その規範が一般化している今の時代に、マジョリティは恵まれている方だからかえって声を上げづらい面もある。マジョリティだけども、いやマジョリティだからこそ、当たり前すぎて声なきままになっていた声を拾い上げているところに、この作品の凄さがあるのではないだろうか。

82年生まれのキム・ジヨンの一人として私は、23年生まれの娘が生きるこれからの世界は、もっとずっと軽やかなものであってほしいと願う。どうかこれからは、キム・ジヨンの再生産がなくなっていきますように。


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