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世界から猫が消えたなら

原作からのファンだった「世界から猫が消えたなら」は、少しコメディに描かれつつも、涙をそそるシーンも兼ね揃えた小説だ。

そんな大好きな物語が映画化され、以前、母と観に行ったのだが、一日中余韻に浸ってしまうほど印象に残るお話だった。

今回の記事では、映画を鑑賞した上で自分なりに考えたことを綴りたい。

余命宣告された主人公が明日を生きるために、世界に存在するものを、一つ一つ消し、一日一日、寿命を伸ばしていく。

電話、映画、時計、、最後に猫。
何気ない日常にあったものたちとの別れは、大切な人との出会い、思い出、すべての記憶を消していく。

そんな中で気付くのは、大切な人との思い出が「生きている意味」そのものだったこと。そして最後に、猫を消さなければいけない決断の時、主人公は自分の命を諦めた。

本とは何が違うのだろうか。
何気ない日常、風景、記憶との突然の別れが、映像を通して儚く描かれている。それゆえ、少し内容の深い、重い作品に出来上がったけれど、ひたすらに胸を打たれた。

あなたにとって、「自分の命よりも大切なもの」とは、いったい何だろう?今一度、自分の胸に問いかけてみてほしい。

明日、消えてしまうのなら、何と引き換えに、自分の命を守るだろうか。それが思っていたほど、数少ないことに気付かされる。何気ない日常に存在していたモノとの物語は、大切な人との記憶の一部。それを無くしてまでも、生きたいと思えるのだろうか。

そう考えると、自分の命より大切なものがたくさんあるのだと気付く。
そんな自分は幸せだということも。

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