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自由を得る旅路の、役割分担

こんにちは。
ライフストーリー インタビュアー/心理カウンセラーの 真中愛です。


もう15年くらい前になるのですが、旦那とともに夫婦カウンセリングを受けたことがあります。

といっても夫婦カウンセリングという概念自体まだまったくメジャーではなかった時代だと思います。
当時私が定期的に通っていたセラピストさんは、看板としてはオーラソーマを掲げていましたが、心理学的知識も豊富なうえに守護霊やら前世やらが見える方でもありました。
それでたぶんカウンセリングの流れで、(セラピストさんが)旦那さんとも話をしてみようか?という提案をしてくれたんだと思います。
どっちが先だったかは忘れましたが、当日は私と旦那がそれぞれセラピストさんと話をしてから最後に3人で話をする、という流れで半日をかけたカウンセリングになりました。


そもそも私たちの場合、夫婦仲をどうにかこうにか、という相談ではなく。
私が後生大事に抱えている生きるうえでの苦しみがどうしても旦那にうまく伝わらず(さまざまなカウンセリングを受けてもなんのかんのと苦しんでいるので)(まあカウンセリングは半分趣味みたいなものだったのですが)、その苦しみのなんたるかをセラピストさんから旦那に説明してもらう、という趣向のものでした。
だからこそ旦那も一緒に行くことに合意してくれたのです(およそカウンセリングを受けるような人ではないので!)。

という主訴だったこともあり、どんなことを話して、最後どんなふうに話が落ち着いたかについては・・・忘れちゃいました。笑
ただ、私が一体どんな状態にあって、何を訴えていて、カウンセリングという場では一体何をしているのか。
さっぱり見当がつかないという旦那にセラピストさんという超強力な第三者(というか半当事者)が直接話をしてくれたのは、私にとって本当に心強く、救われることでした。
旦那もすべてを理解したわけではないものの、当事者であり妻である私の口から聞くのとは違ってその内容をかなり受け入れられたことは想像に難くなく、その後、感覚的にはずいぶん寄り添ってくれるようになったと感じました。

 
そんなわけで話の内容はあらかた忘れてしまったのですが、ひとつ強烈に憶えていることがあります。
それは、帰りの車の中での会話。
すっかり暗くなった夜道を運転しながら、旦那がこんなことを話してくれました。

「セラピストさんに、『愛さんは、生きることにものすごく遠慮している。自分を小さくして生きている』って言われて。
それを聞いてもふーん、という感じでなんの感情も湧いてこなかったのに、突然涙がどわーっと出てきて、止まらなくなった。自分でもびっくりした。あれは何だったんだろう」

その言葉通り、旦那は心底解せん、という表情をしていました。
でも不思議とやわらかくてあったかいような感触が伝わってきました。
私もあまり深くは受け取らず、自分が泣いた、ということを恥ずかしからずに話してくれたことがただ嬉しくて、やっぱりなにかが伝わったんだ、一緒に話をしに行けてよかった、と心から幸せな気持ちになりました。


ということが、そういえばあったわ!!
と、今日の師匠の記事を読んでいて思い出しました。


今日一日、あの日の旦那の涙の理由についてなんとなく考えていました。

「生きることに遠慮している」
つまり、自由に生きられていない。
そう聞いても、旦那の意識のうえではなんの感情も動かなかった。
でも無意識の部分でなにかが反応したからこそ、涙が出てきたんだと思います。

ここで心理学的に分析してみますと。笑

①罪悪感
「自分が相手を不自由にしているのでは?」という、潜在意識にある罪悪感が反応した。
意識のうえでは「オレ何も悪くないもん」と思っていても、潜在意識ではパートナーに対してきっと誰もが多かれ少なかれ抱えている感情だと思います。

②共感
意識(思考)のうえで理解することはできなくても、無意識レベルで私の苦しみに触れることができた瞬間に、共感の嵐が涙とともに襲ってきた。

このふたつについては当時からうすらぼんやり感じていて、きっと②が大きいんじゃないかな、と思っていました。
だからこそ旦那の話を聞いて私も「なにかが伝わったんだ」と感じたのでしょう。


そして15年が経った今日。
新たにもうひとつの考えが浮かんできました。

③「自分に向けられた言葉」として受け取った
つまり旦那の無意識は、主語が私ではなく
「あなたは生きることにものすごく遠慮している。自分を小さくして生きている」
と聞いた、ということです。

ああ、きっとこれものすごくあるんだろうなあ、としみじみ思いました。

夫婦は鏡と言われます。
同じ感情で苦しむとも言われています。
旦那はお察しの通り?とても自信に満ちあふれた、つまりかなり感情を(無意識的に)抑圧している人です。
一見すると自信家で、感情を見事にコントロールし、妻からは「自分軸の化身」との異名を得るような人物でも、笑
100%自由に生きている、ということは、やはりあり得ないんですよね。

旦那もきっと遠慮し、小さくなって生きてきた部分が少なからずあって、そういう自分を見なくて済むように無意識の奥深くに押し込めてきたのだと思います。
その無意識にある苦しみが目の前にいるセラピストさんによって認められたことで、涙があふれてきたのかもしれません。


肉体という形を持ってこの世に生まれた瞬間から、なんらかの社会や組織に属し、まわりの環境や時代背景の影響を受けざるを得ないのが私たち人間。
そんな不自由さの中で生きるよりほかない人生そのものが、自分の魂に自由を取り戻すための旅路なのかもしれません。
そして自由を得るための各々の方法や道のりこそが、その人の個性、持って生まれた才能を生きるということなのだろうと思います。


私の場合は自分の感情や内面の深いところとがっぷり四つで向き合って、わあわあ言って苦しみながら自由を得ていくスタイルなわけです。笑
で、そうして苦しみを乗り越えながら少しずつ自由になっていくと、当然それがパートナーである旦那にも投影されます。
私が自由になることで、旦那が深いところで抱えている不自由さも徐々に自由になってゆくのですね。

だから、わあわあ騒いで多少旦那に迷惑をかけること、いっぱいカウンセリングに通ってお金を使うことに対して、私は罪悪感を抱える必要は全くないのです。笑
自分を癒していくことで、旦那が自由を得ることを助けてあげられているのだから。

一方で、私ばっかりが苦しむことで自分も自由になれちゃうなんて、旦那ズルいじゃん!
という話でもなく。

全く同じように、私が無意識の奥深くに押しやっているようなこと(ウチの場合はたぶん男性性的、あるいは現実的な面)ではきっと旦那が意識レベルでより苦しんでいて、私はのらりくらりしながら楽になっていっているんだろうなあ、という気がします。

それがふたりで一緒に自由を得るための、私たち夫婦の役割分担みたいです。


そんなふうに当時のことを思い返しながらいろいろと思いをめぐらせていたら、セラピストさんに言われたことをもうひとつ思い出しました。

「あなたたち夫婦はねえ、もう筋金入りの腐れ縁。何度も何度も夫婦をやってきてる。テーマは『信頼』」


残りの半生。
お互いに納得ゆくまで信頼関係を築いたうえで終えることができた暁には。

次はどうする?

また一緒に決めようじゃないの!



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■真中 愛【ライフストーリー インタビュー/カウンセリング】

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