クセはなぜやめられないのか。
『分かってるんですけどね…なかなかやめられないんです。』
演奏技術を習得していく中で、私たちは技術と共に様々な「クセ」を身につけていくもの。
それらはやがてさらなる技術的飛躍、表現の幅を広げたいと望んだとき、「超えるべき大きな壁」となって私たちの前に立ちはだかることになります。
今回はその「クセ」について考えてみたいと思います。
クセの正体
私たちが日頃「クセ」と呼んでいるものは、「習慣」の一つと言えます。
「習慣」を改めて調べてみると、
「 心理学で、学習によって後天的に獲得され、反復によって固定化された個人の行動様式。(大辞泉)」
「後天的に獲得された個体の反応様式。(中略) 通常,ある反応が習慣といわれるまで自動化し,定型化するためには,かなり多数回の反復が必要とされる。(ブリタニカ国際大百科事典 )」
…とあります。
何度も何度も練習することで獲得した、いわば「自動化された技術の一部」ということですね。
どんなに寝起きでボーッとしていても、管楽器奏者ならマウスピースが口に当たればアンブシュアを形成することができるでしょうし、ピアニストならオクターブの間隔を親指と小指で捉えることができるでしょうし、弦楽器奏者なら適切なフォームで弓を持つことができるでしょう。
それらは技術として歓迎されるべき習慣ですが、その中で「歓迎されない習慣」も存在していて、それらを私たちは「クセ」と呼んでいます。
分かっちゃいるけどやめられない理由
「やめたいクセ」というと概ね下記の2点が挙げられます。
・無駄に力が入ってしまう。
・身体の使い方を別のものにしたいが、なかなかできない。
…言葉にしてしまうのは簡単ですが、前述の通りこれらは長い時間をかけて習得し獲得した「自動化された技術」です。
さて、私たちは技術を習得する時に、実に様々な角度から学習します。
例えば「立つ」「歩く」「食べる」などの基本動作。
私たちは子供の時に周囲の大人がやっていることを無意識に見たり聞いたりして学びます。これは主に脳の中にあるミラーニューロンなどの働きによるものですが、親子の歩き方や食べ方などが似ているのは遺伝だけでなく、こうした無意識的な「学習」によるものも大きいと言えます。
そして演奏技術を習得する過程でも、私たちは様々な情報から様々な角度で学んでいます。
先生や先輩の演奏や言葉、何度も見たり聞いたりした憧れのプレーヤーの演奏動画や録音。
その中には、残念ながら自分にはあまり適さない動きや言語表現、演奏技術にはあまり関係のない動きも含まれます。
しかし私たちは、無意識にトータルで学習しているのです・・・。
これは素晴らしい能力と言えますが、様々な技術を習得すると同時に「クセ」と呼ばれるものも習得してしまっているのですね。
「じゃあ、”クセ”をやめよう!!」
…と思ってもなかなか難しいことは多くの方がご存知のことと思います。
なぜクセをやめることが難しいか。
それはそこに「違和感」が伴うからです。
例えば自分がいつも右手でじゃんけんをする習慣があるのなら、それを左手に替えてみてください。
・・・できるけど、なんだか気持ち悪くないですか?(笑)
この気持ち悪さが「違和感」、クセをやめられないことの原因です。
クセをやめる秘訣
人間は「習慣」の中で生きる習性を持っています。
慣れた環境、慣れた食べ物、慣れた人々、そして慣れた”やり方”の中で生活することで安心感を得ています。
進化の過程の中で、人間は「習慣から外れること=危険である」ことを学習してきました。
そのため、「クセ(習慣)」をただ「やめる」ことは難しいのです。
私たちが「クセ」と呼んでいるものは、ある技術を習得するためにこれまでは必要な習慣だったからです。
・・・それでもやめたい。
このクセをやめて、もっと向上したい。
そのためには、そのクセの代わりになるプラン=代替プランが必要になってきます。
代替プランを作るには、まずその技術のために必要なことと、必要になる動きが何かを解明していきます。
ざっくりですが、例えば「管楽器で高音を出す」を挙げてみます。
この場合、必要なことは
・より高圧の空気
・その楽器のその音域に適切な空気量
が考えられ、それに必要な動きは
・呼気筋である腹部の筋肉をどう使うか
・圧力を高める為、舌をどう使うか
・圧力を高める為、どう顎を使うか
・圧力を高める為、どう唇の周辺の筋肉を使うか
・どれくらいプレスが有効か(金管楽器の場合)
などが挙げられます。
この項目で大切なのは、
・やってはいけないこと
・「〜ならないように」などの否定の指示
・「ちゃんと」などの曖昧な言葉
ではなく、必要かつ具体的なことであることです。
これらのパラメーターをどう設定するのかは実験の繰り返しとなりますが、それ自体が新しいやり方の構築=代替プランとなってゆくのだと思います。
寛容であること
そしてこの代替プランを作っていく中でも、「クセ」は何度も何度もその顔をのぞかせるでしょう。
この時、瞬時に「またやってしまった!」「分かっているのにまだ治せない!」と自分を責めることもまた「クセ」の一つではないでしょうか。
その「クセ」は、かつて私たちの上達を助けてくれたものであり、技術を習得する上で必要なものであり、また様々なものから守ってくれたものであると思います。
「クセ」が顔をのぞかせることに気づいたら、
「長い間ありがとう。でもそろそろちょっと違うことを選んでみるから。」
と思ってみることはいかがでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。
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