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時代 会津本郷焼の魅力 釉薬から見る手仕事のカタチ


こんにちは。逢季荘です。
本日は会津本郷焼の魅力について語りたいと思います。

会津本郷焼とは

福島県の焼物で文禄二年(1593年)、蒲生氏郷公が会津の領主となり、若松城の修復のため播磨国から瓦工を招き、瓦を製造したのが始まりとされ寛政一二年(1800年)には佐藤伊平が、有田に潜入して技術を持ち帰った事により磁器の生産にも成功したとされています。幕末には会津藩の産業として栄え、現在でも13の窯元が続いてるとされています。

会津本郷焼の多様性

会津本郷焼は、時代の中で多様な陶磁器を焼いておりますが、その要因には瓦の製造と磁器の焼成を有田から持ち帰った二つの潮流がある事かもしれません。陶器も磁器も色んな表情の焼き物がある印象を受けます。

今回はその中でも明治期以降の会津本郷焼の陶器について取り上げていきたいと思います。

釉薬の魅力

・飴釉 徳利

いわゆる飴釉と呼ばれる釉薬が掛かった徳利です。会津本郷焼ではこの手の釉薬はニシン鉢と呼ばれる雪国会津の保存食としてニシンの山椒漬けを作る為に作られた鉢が有名でありますが、時代がある徳利は比較的珍しいかも知れません。

明治期頃のものになり、時代が上がるほど、艶みが抑えた釉薬の仕上がりになります。花器や酒器としても使いやすい大きさです。

・海鼠釉 片口

海鼠釉と呼ばれる釉薬の発色が魅力的なこちらの片口。

なまこの様な色味からとつけられた名ですが、その発祥は中国の宋代の釣窯とされていて李朝の会寧や朝鮮半島を渡り日本にその技術がやって来たとされています。そしてこの東北に民衆の器として昇華されたと考えると歴史や陶工が織りなす美しさに浸ってみるのも良いでしょう。貴重な窯元からでた未使用保管品で、モダンな雰囲気は夏の器としても、使いやすい印象です。

・藁灰釉 深片口

少し薄めの飴釉に乳青色に発色する藁灰の筋が脇にひっそりと掛かった深片口。茶碗型の器に捻りを入れただけの造形の片口ですが、深さもあり様々に使いやすく、シャープかつ暖かみのある印象を受けます。高台付近に火跡が見られ、電気窯やガス窯ではなく登り窯で焼かれた事が推測されます。

まとめ

今回は会津本郷焼の時代陶器から
手仕事のカタチをみていきました。
民藝、民芸と良く耳にする事が増える様になった昨今ですが、会津本郷のその実直で飾りの無い陶器には、その魅力が宿っている様に感じます。


日本の手仕事を振り返る事から見えてくる
情景をこれからもご紹介できたらと思っています。それでは次回もお楽しみ頂ければ幸いです。 
(スキやコメント頂けたら嬉しいです。) 

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