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こんな中学校を創ってみたい(第2回)

ありきたりな放課後の活用

ああ、この取組ならば「どの学校」「どのスタッフ」でも出来るかも?という想像をするのが好きです。想像できることは創造できるらしいので。
例えば、次のような「よくある時間割」に価値を与えてみましょう。

時間割の例

選択探究「selective exploration」

水曜日の午後を選択探究の時間(必修)に設定します。
時間は45分~200分です。
何をしましょう?そこに仕掛けを用意してみました。
授業内容は単純です。多様な講座です。
担当講師は「当該学校教員」「学区内地域の住民」「学区内企業の社員」です。外部の人材バンクづくりは、すでに多くの学校で取り組んでいるところもありますよね。ええ?そんなことなの?ええ、そんなことなのです。
自由探究「free exploration」は、講座なしですが、自由に何かを学ぶだけの時間です。カリキュラム上の授業時間には計上しません。

まずは、当該学校教員が、がんばってみる

講座は、学校の先生がご自分の教えたいものの講座をすればいいです。
例えば「お金の基礎」とか、「プログラミングの基礎」とか。学校の教科でもいいですね。例えば「英語の長文読解」「数学検定に挑戦」なんかはどうでしょう。他にも「恋愛」「ギターの弾き方」「人生をよりよくするには」「話し方・伝え方」「プレゼンテーション」など、その先生が「自分がこれが得意だ、好きだなと思っている分野」について、自分でその講座を開設して、それを好きなようにやってみるのです。
なんでもいいのです。2,3人の協同講座があってもよさそうです。

けれど、そんな面倒なことをしたくないって教員もいるかもしれません。後述にもありますが、それはそれでいいです。「やってみたい」教員がやればいいのです。だって、自分の好きなことを目一杯教えることができますから。週1の授業を創るのも楽しくやれちゃうと思います。楽しいことは時間がかかっても苦じゃないですからね。だって「自分のため」ですから。

されど選択制

生徒は選択できます。毎回自由です。帰ってもいいです。「自分で何か面白いこと発見しよう」っていう講座があってもいいかも知れません。
恐らく、多くの公立中学校の生徒は、そこまでやりたいことって明確じゃない子が多いって思います。けれど中学生に、「こんな講座があったら受けてみたい」といったニーズを調査を行ってみると意外に多様な意見が出てくるかも知れませんね。

教員の立場からいうと、面白くない講座に人は集まりません。授業じゃないから単なる雑談もそれほど意味をなさないでしょう。だって、先生の雑談は「授業中に行うから意味がある」のです(*^^*)
教員はどうやったら人が集まるかを考えることになります。集まらないから無理だとやめてもいいです。教員にとっては、「人の話はちゃんと聞きなさい」と「人が耳を傾けたくなるような話をしなさい」を両方実感できるいい学びの機会になります。

スキルを持ってる地域の人が出張講座

例えば…近くにパン屋があれば、「おいしいパンのこね方とか焼き方講座」、エンジニアがいれば「プログラミング講座」、スーパーがあれば「流通講座」を、スポーツクラブがあれば「体の使い方講座」をやってほしいですね。ぱっと思いついた一例ですけど、とにかく何でもいい。世の中仕事は山ほどあるし、それらはすべて世の中の役に立っている。役に立つことっていうのは探せば無限にありますもんね。皆さん、無償ボランティアでやってもらいますけど…。

ちなみに、この段階で、地域のコミュニティ協議会や自治会・町内会、育成協議会とはよりよい連携ができることになりそうです。地域連携は無理して何かを生み出そうとしなくても、ある人材とお金でやりくりすれば、お互いにそんなに負担はないのでは…と思います。CS(コミュニティースクール)の話題もきっと盛り上がります。

これはダメですかね?

どうせ講座を開催するのであれば、保護者・広域地域も参加可能にしてやればいいと思います。ただし、大人は1回500円で!収入はすべて学校の備品に充てます。だって、学校は凄くお金がなくて、いろいろなものがボロいから…。教員の副業は原則ダメですが、学校がこういう収入を得ることはいかんですかね…?

教員の自己肯定感を上げよう

日本人はとにかく自己肯定感が低い。記事や誰かの話の中でよく見聞きします。それは、教員にとっても実は同じことが当てはまり、自己肯定感の低い教員って結構いるんです。
そこで、前述のように講座で集まったお金でそれを生徒たちに還元します。人を多く集めた先生には、「その講座のおかげで生徒のためにこんなお金の使い方をすることができました」と称えます。例えば、全校朝会等で生徒が、何か活動実績を積んだことで表彰される場面があります。その際に、教員だって表彰されてもいいんじゃないかと思うのです。がんばって結果を出した教員を表彰し、全校生徒から賞賛を浴びるっていうのもありだと。大人になるとだんだん表彰される機会が少なくなっていきますよね。(私は子どもの頃もほとんどありませんでしたが…)教員だって結局は1人の人間なんだから、表彰されたら嬉しいと思うんです。しかも自分が日頃教えている生徒の前で。それによって、教員が「もっと頑張っていこう」って思いになるかもしれない。そうやって教員も、明確で数値がしやすい評価があればもっと頑張ってみたいと研鑽をするようになります。結果何が起こるかといえば、教員は、生徒にもっと多くのことを語ることができるようになります。「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」の「やってみせ」を体現できるからです。教員が自分でいろいろ考えてやってみることによって世界観を広げるようなことができます。よく言われる教員は世間を知らないとか、狭い世界だとかいう風評?も払拭できそうです。

いきいきと課題発見・解決を考える学校

学校で生徒が生き生きと学校生活を過ごすための要因の1つは、学校教員が生き生きと仕事していることです。教員の自己肯定感が高まれば、生き生きと仕事をする教員が増えていきます。
さらに、このselective exploration(選択探究)を進めることで、地元地域の人たちと、地域にある学校教員一人一人が、互いに人間関係を広げることでき、結果として地域全体が活性化するのではないか、と思っています。
生徒は、様々な知識や価値観に触れていく中で、徐々に「なりたい自分」や「やってみたいこと」に気付き、そのためには何が必要かを考え出す。そんな日がいつか来るのではないかと思います。この挑戦する一部の人たちの情熱は、ふとした瞬間に竜巻のように風をまとい、周囲を巻き込みながら熱を帯びていく…そんなイメージです。

学校はその気になればなんだってできる

講座の取組を広範囲に知らせるために、SNSを使って広告を打ち、その内容を紹介してもいい。学校という立場を利用して何らかの冊子で宣伝してもらってもいい。さらにはオンライン講座とかも開設して、遠方からも視聴できるようにしてもいい。学校はその気になればなんだってできる。生徒も教員も成長し、地域もどんどん学校と交流ができるってことで、プラスしかないんじゃないかなって思います。

教員にしろ生徒にしろ「みんなでやろう」って言うと「やりたくねーよ」ってなる人は一定数います。だから、やりたい人がやればいいと思います。やりたくない人は、のんびり過ごし、定時で帰ってくださいで構いません。例えば、部活動はこの先、ガンガン縮小方向で進むでしょうし、だったら競技指導を続けたい人は早く帰って、地域クラブ活動力を発揮すればいいです。それはそれでちゃんと功績があれば表彰します。
反発する生徒には、何らかの事情(友人関係や家庭環境や教員との関係などなど)がある場合がありそうです。その場合は機会をみてじっくりと話をしながら、サポートしていきます。そこは現状の生徒指導と同じですよね。

繰り返すようですが、自分で課題発見し、自己成長とともに生徒が活躍・成長できる機会を創り、何かを達成した人には、もう限りない賞賛をしていきます。公平でしょう。ざっくりといえば、頑張った人はその結果に対して賞賛される。生徒・保護者・地域から理解も得られる。例えば、生徒にとって、先生のまた違った一面が見えて、「怖い先生だと思ってたら、こんなに興味深い部分もあるのか」ってなるかも知れません。逆の立場からいえば、生徒のまた違った一面が見えて、「授業中はいつも眠そうにしているけれど、この講座では、いきいきと取り組むなぁ」といった感じで、生徒のよいところを一層よく見ることができるかも知れません。いろんな側面を見せ合うことって、お互いにとっていいことしかないって思います。

しょせんは妄想

このマガジンはしょせんは私の妄想です。細部に詰めはないし、あくまでも概略であり、夢物語かも捉えられるかも知れません。けれど、絶対無理ってわけではなさそうだし、面白そうなのでだらだらと、そしてたいした構成もなく長々と書いてみました。
誰かの心の片隅が、ちょっとでもソワソワってなれば嬉しいなと。

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