言葉を交わさなくても伝わる優しさ
20歳で1人暮らしを始めた。まだまだ半人前の私は仕事で失敗する事や人の感情を今より多く吸収していた。家に帰る車中、それまでガマンしていた涙を流しながら帰ることが多かった。
患者さんが亡くなった時、大きな失敗をして職場にたくさん迷惑をかけた時、納得する仕事が出来なかった時。
誰もいない部屋に仕事を持ち込んで枯れるまで泣いた。
昔の自分は悲観的で、1つのことをいつまでも引きずっていて、感情のコントロールが下手くそだった。1人では抱えきれないものをどんどん詰め込み部屋はいろんな感情であふれていく。1人は自由だけれど、ひどく落ち込んだ時どうしてもそこから抜け出せなくなる。
友達がいない私は気軽に話せる人は当時の彼しかいなかった。悲しい、辛い気持ちを全部ぶつける私をいつも受け止めてくれる優しい人。話した後少しだけ落ち着く。次第に私は彼無しでは生きられなくなっていく。
これは”依存”だった。
依存は何でもいい事はない。長く付き合っていくと心は離れていき、すれ違いが多くなっていく。私の付き合い方は対等ではなかったし、大事にもできていなかった。今になって離れていくのもしょうがないと思う。
主人にはほとんど仕事の話をしない。家に持ち込むといい事にはならないと身に染みて経験しているから。「ただいま」と家に帰っても「お帰り」も言わない人だ。時々相談すると、これでもかっていうくらい反論をしてくる。
落ち込んでくる私にとどめの言葉をかけてくる。決して甘くない人。
でも、私は感じている
目には見えない優しさを。厳しい言葉をあえて言うのは私のためだって。
疲れて家に帰ってきても、少し話すだけでたちまち笑顔になっている自分がいる。頭を撫でてくれたり、ハグしてくれたりは一切ない。でも心がポッカポカになっている。
忙しくて深夜に帰ってきたときにテーブルにスパゲッティーが置いてあった。料理は全然できないのに作って残しておいてくれた。どれだけで疲れは吹っ飛んだ。言葉がなくても人の思いやりに、こんなにも癒されるなんて初めて気づいたんだ。
私の家庭は決して裕福じゃない。いつも順風満帆でもない。
それでも、なんじゃない日常に笑いと小さな幸福を作ってくれるこの人と一緒になってよかったなと。
私にとっては彼が隣にいてくれるだけで感情に揺さぶられない自分になれる。
”依存”ではなく”共存”をいつまでも保っていきたい。