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小学生でもわかるGX入門(雑穀農業編)

 やぁ、みんな! 今回は『 #小学生でもわかるGX入門 』の続編の『雑穀農業編』だよ。前回の『食習慣編』は、前々回の『 #カーボンクレジット AMC:事前買取コミットメント編』よりも簡単に書いたので、大人気だったよ。ド文系のお友達には、CO₂に重さがあるって説明するのが意外と難しいんだ。

 ボクも頑張って、熱膨張や、重力、気圧、風圧、モル(mol)、ドライアイスや液体CO₂の重さなんかで、CO₂には重さがあるって説明してみたけど、ド文系のお友達の中には、CO₂には重さがないって言い張る子がいるんだよ。何時間も説明したけど理解してもらえなかったんで、『なんでキミはCO₂に重さがないと思うの?』って質問したら、『だって、体重計の上にある空気だって重さがないからゼロだから、空気にも重さはないんだ』って言い張るから、もうド文系と話をするのは疲れちゃったんだ。

 それに比べると、ド文系のお友達でも、古事記や日本書紀には詳しいから、今回はその辺も説明してみるね。でも、文字ができる前のことを、放射性炭素(C14)による炭素年代測定なんかで説明すると、ド文系はパニックになっちゃうから大変なんだよ。

 それから、ぶっちゃけた話をすると、大人の読者相手に小学生っぽい話し方するのも、意外と疲れるんだよね。だから、今日からは中学生のお兄さんくらいに話す感じで書いてみるね。

日本の農業の歴史

 日本最古の史書である古事記は712年頃に成立し、その時代の五穀は米、麦、粟、黍、大豆とされています。また、 #五穀 以外にも様々な #雑穀 が主要穀物として栽培されていたことも説明されています。一方、日本書紀は720年頃に編纂され、その時代の五穀は米、麦、大豆、粟、稗とされています。このように、古事記と日本書紀が書かれた時代には、五穀の種類が異なっていることが記されています。

 ところが、近年の考古学や農学の研究により、日本の農業は史書以前の縄文時代にはすでに農作が始まっていたことが分かってきました。縄文時代には、粟や稗などの雑穀や野生の果実やナッツ類(例えば、胡桃、栗、栃の実、団栗:など)が栽培・採集されていました。

どん‐ぐり【団栗・橡】
〘 名詞 〙 ブナ科のカシ、クヌギ、ナラ、カシワなど、ナラ属の果実の総称。狭義にはクヌギの果実をさす。褐色の堅い果皮をもつ堅果で、下半部は椀状の殻斗(かくと)に包まれている。澱粉質に富むが一般には渋味が強くそのままでは食べられない。採取や保存の容易さなどで古代は重要な食料であった。《 季語・秋 》

精選版 日本国語大辞典 「団栗」の意味・読み・例文・類語

 そこで、今回は日本の農業の歴史を、栽培されていた作物や農業手法、肥料の利用方法などの変遷を通じて、時代毎に詳しく説明します。

縄文時代(紀元前14,000年〜紀元前300年)

栽培された作物
粟:日本で古くから栽培されていた雑穀の一つです。
稗:縄文時代には稗も栽培されていました。
野生の果実やナッツ類:縄文人は採集活動を通じて、胡桃、栗、栃の実、団栗などの野生の果実やナッツを食料として利用していました。

農業手法と肥料
採集・狩猟を主とした生活:縄文時代の人々は主に採集や狩猟を通じて食料を確保していましたが、農耕の痕跡も見つかっています。
焼畑農業:一部の地域では焼畑農業が行われていました。これは森林を焼いてその灰を土壌に混ぜることで肥沃化を促進し、作物の栽培を行う手法です。焼畑農業により、土地の肥沃度が一時的に向上し、作物の収穫量が増加しました。

弥生時代(紀元前300年〜紀元300年)

栽培された作物
米:稲作が伝わり、米が主食として広がりました。
粟、稗、黍:雑穀も重要な栄養源として栽培され続けました。
蕎麦:栽培が始まり、食用とされました。

農業手法と肥料
稲作の伝来:稲作が中国から伝わり、日本各地で灌漑技術が発展しました。
灌漑技術:畦畔を使った田んぼの整備が行われ、水管理が行われました。
肥料の利用:焼畑農業に加え、自然の堆肥や落ち葉などが土壌改良に使われました。

古墳時代(紀元300年〜710年)

栽培された作物
米:主食として広く栽培されました。
粟、稗、黍:引き続き栽培されました。
蕎麦、大豆:新たに栽培されるようになりました。

農業手法と肥料
農業技術の発展:田圃の整備と灌漑技術が進みました。
人糞尿や家畜糞尿の利用:肥料として利用されるようになりました。

奈良時代・平安時代(710年〜1185年)

栽培された作物
米:主食としての地位が確立されました。
粟、稗、黍、蕎麦、大豆:引き続き重要な食糧として栽培されました。

農業手法と肥料
田圃の整備:大規模な灌漑システムが整備されました。
肥料の利用:人糞尿や家畜糞尿、天然の堆肥(藁、落ち葉)が利用されました。

鎌倉時代・室町時代(1185年〜1573年)

栽培された作物
米、粟、稗、黍、蕎麦、大豆、小豆、里芋:各種作物が栽培されました。

農業手法と肥料
堆肥の利用:藁や落ち葉を堆肥として利用する技術が発展しました。
緑肥の利用:クローバーや蓮華草が栽培され、土壌に鋤き込まれて肥料とされました。
油粕の利用:菜種油の搾りかすが肥料として利用され始めました。

江戸時代(1603年〜1868年)

栽培された作物
米、粟、稗、黍、蕎麦、大豆、小豆、里芋、山芋:地方で多様な作物が栽培されました。

農業手法と肥料
農業技術の向上:田圃の整備が進み、米の生産量が増加しました。
魚肥、糠の利用:漁業が盛んな地域では魚肥が重要な肥料となり、糠(米ぬか)も利用されました。
肥料市場の発展:都市部から農村部への肥料流通が発展し、商業的に肥料が売買されました。

 明治時代に入ると、化学肥料を使った近代農業が始まり、急激な人口増加が起こりました。しかし、日本が #化石燃料 #化学肥料 を買えなくなると、2100年までに江戸時代のように人口が減ってしまうことが日本政府によって予測されています。これは #ローマクラブ の『 #成長の限界 』の資源問題の基本的な考え方と同じです。

明治時代(1868年〜1912年)

栽培された作物
米、粟、稗、黍、蕎麦、大豆、小豆、里芋、山芋、玉蜀黍:西洋の作物も導入されました。

農業手法と肥料
化学肥料の導入:西洋から過リン酸石灰や硫酸アンモニウムが導入されました。
魚粉、油粕の利用:引き続き有機肥料として利用されました。

大正時代〜昭和初期(1912年〜1945年)

栽培された作物
米、粟、稗、黍、蕎麦、大豆、小豆、里芋、山芋、玉蜀黍、薩摩芋:多様な作物が栽培されました。

農業手法と肥料
化学肥料の普及:硫酸アンモニウムや尿素などの窒素肥料が広く使用されました。
有機肥料の併用:堆肥、魚肥、油粕の併用が推奨されました。

太平洋戦争敗戦後(1945年〜1980年)

栽培された作物
米、粟、稗、黍、蕎麦、大豆、小豆、里芋、山芋、玉蜀黍、薩摩芋、ジャガイモ(馬鈴薯はナス科ナス属です)など多様な作物が栽培されました。

農業手法と肥料
農業の機械化:機械化が進み、農作業の効率が向上しました。
化学肥料の奨励:農業政策として化学肥料の利用が奨励されました。
環境問題の発生:過度の化学肥料使用による土壌劣化や環境汚染が問題視されるようになりました。

現代(1980年〜現在)

栽培された作物
米、粟、稗、黍、蕎麦、大豆、小豆、里芋、山芋、玉蜀黍、薩摩芋、馬鈴薯、雑穀類など多様な作物が栽培され、健康志向の雑穀も注目されています。

農業手法と肥料
持続可能な農業: #環境保護 #持続可能 な農業が重視され、 #有機農業 が再評価されています。
有機肥料の再利用:堆肥、緑肥、魚粉、油粕などの有機肥料が再び注目されています。
化学肥料と有機肥料のバランス:化学肥料と有機肥料をバランスよく利用することが奨励されています。
バイオ肥料と循環型農業:微生物を利用した #バイオ肥料 や、 #循環型農業 の推進が進められています。

 このように、日本の農業は各時代の技術や環境に応じて発展し、現在では #持続可能な農業 を目指して多様な手法が用いられています。

 ところが、日本政府は #水素 #アンモニア #一次エネルギー だと勘違いしているのか #アンモニア発電 を推進しています。その結果、以下のイラストのような将来が待ち受けています。アンモニアが肥料の成分だということを知らないド文系が多過ぎます。何度も説明しますが、 #植物の三大栄養素 は窒素、リン酸、カリであり、 #アンモニア肥料 系の窒素や硫安などはアンモニアから作られます。日本はアンモニアを石炭と一緒に燃やしてしまうので、アンモニアを生産するための電気が不足することになります。

日本の的外れなGX戦略の未来予想図

武智倫太郎

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