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いつか見た風景 92

「もう一つの人生」


 もう一度、最後にもう一度だけ、夢に賭けてみようかと私は何度も思う。どこかで無謀だと思っていても自分を信じて前へ進む勇気を、若い頃のようにもう一度持ってみたいと。その夢がどんなものかは問題じゃない。叶うかどうかも正直どうでもいい。ただ一点、無謀な勇気という奴に私はすっかり魅了されている。

                スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス


「私の脳ですら日々アップデートしてるらしいから…もう少し頑張ってみるか」


 一人の男がある朝コーヒーを飲みながらテーブルに置かれた世界地図を眺めていた。男はかつて気球を用いた気象観測の先端的な研究に携わっていたドイツ人気象学者で、グリーンランドを調査するデンマークの探検隊に何度も加わった事があった。極地の気象データを集めると共にグリーンランド北東岸の地図作りも手伝った経験があった。

 男の名はアルフレート・ヴェーゲナー、彼は世界地図を漠然と眺めながらふとこう思った。南大西洋を挟んで南アメリカの東海岸線とアフリカ大陸の西海岸線は不思議なほどよく似ているなと。まるでジグソーパズルのようにアルフレートの脳内で二つの大陸の輪郭線、つまりパズルのピースとピースが繋がった瞬間だった。気になって色々と調べてみると、全く別の大陸で同時代に同じ植生や化石が想像以上に多く生息していた事に気がついた。

 もともと一つの大きな大陸だったに違いない。そう確信するに至ったアルフレートは1912年に大陸移動説を発表したが、彼の説は学会から生理的な拒否反応が相次ぎ異端扱いされた。彼の死後かなり経った1960年代後半頃からプレートテクニクス理論(地球表面の地殻は絶えず変化する動体である)が世界を賑わせるようになると、アルフレートの説は「最も古くて最も新しい地質学」として蘇り高く評価されるようになったと言う。

 実のところアルフレートがモーニングコーヒーを飲みながら大陸移動説に気づいたかどうかは定かではない。私がそう思いたいだけだ。深夜に酒とタバコをやりながらでもよかったけれど、たまたま私が昔の彼の記事を見つけたのが朝だったから、そしてその時私はコーヒーを飲んでいた。アルフレートは学会で否定された自説の根拠を探すため、自身が隊長となるグリーンランド遠征を再度敢行したが1930年11月1日に悪天候のため遭難した。その日はちょうど彼の50歳の誕生日だった。

 彼がもし生きていたらどう思っただろうか…と、ついつい考えがちなのは分かっている。私自身に置き換えたって「そうかやっと報われたか」とか「今頃騒いでいるのかバカどもが」とか一瞬は思ったりもするだろうけど、実際はもう大して気にはならないと思ったりもする。なぜって、アレから30年も経っているからね。もっと他に興味が移ったって不思議じゃないからさ。例えばグリーンランドで見つけた太古の宇宙人の痕跡とかにね。


「気づかないフリをするのはそろそろやめた方がいいよ」


 あ、ああ、ワンツー、ワンツー、ただ今マイクのテスト中、ただ今マイクのテスト中。狭い広間に座り心地の悪いパイプ椅子がぎっちりと50以上は並んでいるだろうか。今日の私が密かに計画している講演のスタッフの一人にでも取り込んでやろうかと思っている男が執拗にマイクテストを繰り返していた。きっと彼は時間稼ぎをしているに違いないと私は思った。同僚と一緒に倉庫まで残りの椅子を取りに行く作業を面倒くさいと思っているのだ。そういうタイプの男が今の私には必要だった。

 私は誰からも頼まれていない講演の準備に取り掛かっていた。黒の麻のジャケットの内ポケットからスマホを取り出して、メモ書きの原稿を確認しながらブツブツと独り言を繰り出した。「お集まりの皆さんには、本日は是非これだけはお伝えしようと思っております」…と。少々大袈裟な手振りを交えて、過去の偉人たちが死に直面した最後の言葉を読み上げながら、私のスピーチに必要不可欠なエピソードを探っていた。

 チャーチルの最後の言葉は「こんなのはつまらない」だった。エルビス・プレスリーは「読書をしにトイレに行ってくるよ」だ。こっちの方が私向きだなと思った。「撃つんだ臆病者、君はただ一人の男を殺すだけだ」と言ったのは革命家のゲバラだが、さすがに今日の講演には刺激が強過ぎる。それなら「この世のものではない何かを感じる」と言った偉大な作曲家モーツァルトの方がまだマシなような気がした。それからココ・シャネルは彼女のメイドに「ほらね、こうやって人は死ぬのよ」って言い残したそうだ。シンプルでエレガント、まるで彼女の作った服のように潔いじゃないか、私好みだな。そうだ、そうだな、エピソードは3つは用意しておこうか。途中で私も脱線するからさ。話がどこかに行っちゃったとしても、何とか最後の着地は洒落てみたいからね。


「偉人たちの最後の言葉が気になっているんだよ」


 会場は老人たちでいっぱいになっていた。月に一度の介護施設主催のビンゴ大会を、今宵私はジャックしようと計画していた。ビンゴが始まる直前に、その月に誕生日を迎える老人が前に出て記念のプレゼントが手渡される。お礼の挨拶を老人たちがマイクを通してやるその瞬間を、私は狙っていた。私の誕生日は来月だけど、さっきのスタッフを何とか言いくるめて老人たちにマイクを手渡すその役を手に入れた。生きてるうちに一度でいいから司会の役をやってみたかったと懇願して。

 司会者の特権で多少長い前説スピーチがあったとしても不思議な事じゃない。それで私が何を話したかって? 決まっているじゃないか、今日のこの日の私の行動の全てだよ。モーニングコーヒーを飲みながらビンゴ大会と私のスピーチの輪郭線がまるでジグソーパズルのピースのようにピッタリと合わさったその瞬間から決まっていたんだよ。ただただ座って言われた数字に穴を開けるだけの人生じゃなくてさ。ビンゴ大会をジャックしてまで皆んなに伝えたかった事ってのはさ、つまりそう言う事だよ。「無謀な勇気」が時にあなたのもう一つの人生の扉を開ける鍵になるんだってね。

 スピーチの途中で不審に思った施設のスタッフが暴走する私を苦笑いで取り押さえた。私はマイクを離す最後のその瞬間に、皆んなに向かってこう言い放っていた。「それじゃ失礼、ちょっと読書をしにトイレに行ってくるよ」と。

 ウケていた。私の最後の言葉は皆んなにウケていた。だけど私がゆっくりと広間を後にする頃には、辺りはすっかりビンゴ大会の開始モードに包まれていた。老人たちの歓声は私の最後の言葉より盛り上がっている。私は、私を支えているスタッフに呟いた。「ほらね、こうやって人は大事な事を忘れていくんだよ」



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