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いつか見た風景 64

「ア・スライス・トゥー・ゴー・プリーズ」


 ゴッサムシティーの隣町のマトリックスタウンの大学で私が講義をしていた頃の話だよ。ニック・ボストロムの「シュミレーション仮説」を例に取って私の今の現状を紹介していたんだ。つまりさ、架空の中の住人であるところの私は架空であることに気づかないんだってね。

                 スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス


 

https://instagram.com/drk.publishers/


 ある日の夕方、私は同僚のウォシャウスキー教授とパストデイズストリートの古いイタリアンカフェにいた。100種類の様々なトッピングを楽しめる一切れサイズのピッツァが人気の店で、カフェの客の多くは「ア・スライス・トゥー・ゴー・プリーズ」と少しレトロな表現を店ではアイコンのように敢えて使って一切れお持ち帰り用のピッツァを注文した。トッピングは何をどれくらい乗せても値段は一緒だった。まるで一人の人間の人生のように。

 この辺は私のような独り身の高齢者が急激に増えている地域だったけど、元々は学生街だから20〜30代の若い人たちもまだまだ多く住んでいた。まあ言ってみれば世の中にこれから出て行く者とそろそろ去って行く者同士が、健全な距離感を享受しながらも、共に思ってもみなかった新しい価値観に遭遇できる稀有なエリアでもある訳だ。

「あの一切れに、何が乗っかってる?」
と、同僚のウォシャウスキーが少し悪戯っぽい笑顔で私に聞いていた。これから始まる人生の舞台に、何をどれくらい持って行こうかって、それを使って何をどう演じて行こうかって、そんな風にも見えなくないとウォシャウスキーが呟いていたから、私は「好きな味、これまでの人生で選択され組み合わされ、それからこれからの自分に必要な味…かな」と何となく答えた。瞬間、私たち二人の脳内に同じ映像が浮かんでいた。顔を見合わせ、お互い何かを確信したかのように頷いて席を立った。

 

「何か大事なものが消滅しちゃうようで心配でさ、例えばもう一人の私とかさ」


 1ヶ月後には私たち二人の思いつきがマトリックスタウンの現代美術関係者の間で話題の的になっていた。直径90センチのピッツァを8等分にカットした一切れサイズのフレームの中に一人の人間の人生の痕跡をコラージュしたそれぞれの作品は、どこにでもいる、何者でもない、普通の、或いは普通でない事をどこまでも誇示する極々普通の人たちの、思い思いの取るに足らない力作。それでもその作品が100を超えて美術館を埋め尽くす頃には、圧倒的な美しさとパワーを発揮していた。

 お菓子や鎮痛剤のパッケージ、学校の成績表、プレゼントに貰ったバッグや洋服生地の切れ端やタグ、祖父愛用のパイプタバコの包み紙もあった。グラビアのセミヌードや古いレコードジャケット。印のついたカレンダー、違反切符、医療カルテに偉人の名言やアイドルの記事のコピー。誰かの出生証明証やら特殊車両の免許証やら、日記の半分破れた秘密のページや自作の散文詩。金継ぎ風の肖像画にインディーズのバンドライブの半券。トイレ洗浄剤のラベルや賃貸契約書のコピーや電化製品の保証書。それからやっぱり多かったのは何か大事な人たちとの記念の写真の数々だ。それぞれの人生の断片は、それ自体を取捨選択し再構成する行為自体が芸術的であり、再び次の人生へと還っていく。一人のこれまでの人生がピッツァ一枚分だとしたら、その8分の1切れがこれからの人生に必要なサイズだ。

「ア・スライス・トゥー・ゴー・プリーズ・プロジェクト」は、こうして誕生した。始めにマトリックスタウンで火がついて世界中に飛び火した。人生で大事なことは、集める、捨てる、再構成するだけ。経済学に心理学的手法を取り入れた行動経済学の一大ブームで世はまさに「行動の時代」だったから、政治も思想も文化も芸術も、それから建築や環境、人間や動物にも「行動学」がくっつき、期待と不安の絶妙なバランスを保ちながら来るべき未来を透視するかのような錯覚を私たちに提供していた。

 

「# これからの人生」


プロジェクトは「# LIFE AHEAD」でSNSで更に拡散された。「これからの人生」って何?って物議も醸した。「私的陶酔行動学」とか「脳内徘徊行動学」なんて揶揄する者たちも大勢現れた。ブームに目をつけた世界的な大手ピッツァ専門店が一切れサイズの洒落た木製フレームを自社のキャンペーンツールに使い、安価な金属フレームはどこの街のワンコインショップでも見ることが出来た。だけど私もウォシャウスキーも幸いなことに常に恩恵や名声の蚊帳の外にいた。

 私たちは不穏な世界の中心にいることに不安を覚えて、それぞれの母国に一旦里帰りすることにした。すると、久しぶりの生まれ故郷を満喫する間もなく、突然見知らぬ男たちの訪問を受けた。

「えっ、ピッツァですか?」
「そうです。先生のあの一切れとサイズとカタチが同じなんです。で、こっちは海馬と直接的に相互作用する人工神経記憶装置です。脳に埋め込む研究の方は以前からありましたけど…」
「こっちは外付けのHDDみたいなって事ですか、頭に乗っけるだけの?」
「そうです。やはりね、なかなか脳に埋め込むってのは抵抗あるでしょ。それにほら、その海外のラボでは記憶機能のある脳細胞を培養皿で培養してるって言うけど、今のところ大した成果がある訳じゃないですから。青い光を当てられたら思い出すってのも何だかゾッとしないでしょう」
「いや、そう言われても私は専門家ではないですから」

 突然現れたこの男たちはアルツハイマー専用の最新介護施設も運営する民間の A I 研究ラボのスタッフだった。医療の現場にA I が導入されてから久しいらしいけど、そこではAI 搭載のヒト型ロボットたちが老人の生活をサポートして、話し相手以上の存在になっていると言う。ヒト型ロボットたちには老人の好みの顔に瞬時に変化する機能が付いていて、家族の誰かとか、古い友人とか、またお気に入りの芸能人にだって変身する。顔だけでは勿論ない。声質も、更には変身した本人たちが言いそうな会話の内容も見事に再現されて、老人との夢のようなコミュニケーションを驚くほど自然に実現していた。

「あっ、それもそうですね。ええと、つまり、海馬の記憶が刻まれた細胞に、光に反応するタンパク質を合成して、青い光に反応して思い出すんですよ。冷蔵庫に何が入っていたとか、トイレの後は何をしないといけないとか…」
「それで、あなた方の新しいプロジェクトは、ピッツァ一切れを頭に乗せて、老人たちを自由に外に出すって感じなんですね…」
「その通りです。足腰お元気な方も多いですから、それにむしろご家族の方々の負担を減らすサポートになればと…」
「で、スライス・トゥー・ゴー・プリーズですか」
「そうです。ですから先生のあの有名なプロジェクトの名前をちょっと拝借させて頂きたく、で、施設の入居者のご家族の方たちにも、もっと気軽にお持ち帰り頂いて、いや失礼、里帰りですね、つまりこの場合は…」


記憶たちが交錯する夜は冷えたピッツァで頭を冷やすのが一番


 要するに、これからの老人たちの人生に必要なものがトッピングされている一切れサイズの装置を頭に乗せて、自由にお外を闊歩しようプロジェクトって事なんだと私は理解した。昔の若者は「書を捨てて町に出よう」だったけど、未来の老人は「ピッツァ一切れ頭に乗せて町に出よう」って事だと思ったら、何だか急にやりきれない複雑な思いが私の頭の上に降って来た。海馬の上の辺り、カラフルにトッピングされた一切れのピッツァ型の外付けのHDDが降って来た。


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