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いつか見た風景 69

「幻影商会のトポロジー」


 ドーナツとコーヒーカップは同じカタチをしているそうだよ。トポロジーとか言う気の抜けた語感の魔法を使うと見えて来るらしいんだ。コツはさ、何でも自由に大胆に伸ばしたり曲げたりしちゃうんだって。だけど絶対に切っちゃうのはダメなのよ。それでさ、ドーナツとコーヒーカップは「穴」が一つって共通の特性があるから究極同じなんだって。位相幾何学って言う立派な名前もついているんだけど、私の場合は記憶の穴が無数にあるからさ、一体何と同じカタチをしているんだろうね。

                スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス


「いつもの奴よりデカイんじゃないの?」


 町の外れに夜遅くまで開いている怪しい雰囲気の「ファントムファーム」って店があるんだ。カントリーマームみたいで可愛いなんて言った客もいたけど、お馴染みさんは皆んなファームって呼んでいるよ。私もこの町に越して来てからずっと通ってる常連なんだよ。

 店主が色々な国で集めた奇妙な雑貨やヘンテコな人形や仮面、それにたぶん彼が密かに制作したと思われる何とも言えないオブジェとかが置いてあって、最近じゃ若い人の姿もよく見かけるね。昭和レトロのちょっとしたブームも追い風なんじゃないかな。忘れ去られたモノが掘り起こされたりオールドスタイルが見直されるのは悪くないからね。そうそう、それにこの店はコーヒーとドーナツが格別なのよ。

 水原弘の「黄昏ビギン」のドーナツ版もここで見つけたよ。店の隅っこに古いレコードとかカセットテープとかあってさ。ジャズやロックも歌謡もどこぞの民族音楽も、それからクラシックに現代音楽まで渾然一体になって一つの宇宙を形成しているんだ。そうそう店で流れる音楽も何かそんな感じよ。今もザンビアのザムロックの伝説のバンド、アマナズのアルバム「アフリカ」が流れてるんだけど、今の私に丁度良い揺れ具合なんだよね。

 店にたどり着いたのは久しぶりだったから、コーヒーとドーナツを注文して奥の古い木製の丸テーブルでしばらく店主とおしゃべりを楽しんでいたんだ。元気だったかとか、最近何してるのとか、どっか行って来たかとか、お互いにさ、アレこの話し前にもしたっけとか言って笑ったりしてさ。そうそう、昔カナダで発見された39歳のシェークスピアの肖像画ってのはやっぱり偽物だったのかなとかさ。確かシェークスピアと同じ劇団で働いていた祖先が描いて、カナダに移住したお爺ちゃんが家宝として持って来たとか言う話しだったけど、その後のニュースはとんと聞かないなって。

 それからやっぱりこの店の美味いコーヒーの話から、そもそもの起源に話題が移って行ったんだ。9世紀のエチオピア、ヤギ飼いの少年カルディがコーヒーの木の実を食べたヤギが興奮して夜中になっても踊って手がつけられない事を修道僧に相談したのがきっかけだったって。こいつはヨーロッパでのコーヒーブームに合わせた創作らしいけどさ、とにかく最初はイスラム世界の寺院で流行って行ったのよ。それには特に神秘主義者スーフィーたちの関与は無視できないそうなんだ。「あれ、あそこで踊ってる奴らと同じよ」と店主が指を指す。エジプトやトルコ辺りの雑貨に埋もれて旋回しながら踊ってる3体の怪しい人形。イスラムのメヴラーナ教団の旋回ダンスの土産用の小さな僧侶たちだった。


「メヴラーナの旋回舞踊だよ!」


 やっぱ太古の遺伝子レベルで何か不思議な力に導かれてたりしてるんじゃないかなって店主か言った。子供も小ちゃい頃はよくグルグル回ってるだろう、それに何かの細胞分裂の映像も確か旋回してたような記憶があるんだよ。コーヒー豆はそれを誘発するための秘薬じゃないかな。大人になっても旋回ダンスが出来るようにさ。せめて頭の中でグルグルっとねって店主が笑っている。そう言えば私も最近夜中にベッドの周りをグルグル旋回している事を思い出した。記憶の細胞分裂だったりするのかな。それで新しい何かが生まれるとかさ。憑依と変身、或いは旋回と再生は紙一重なんじゃないかなって思えて来たよ。

 店主が席を立ち、しばらくして何かのパンフレットみたいなモノを持って戻って来ると「ほらコレ」と言って私に手渡す。トルコのメヴラーナ博物館のパンフレット。イスラム文様に縁取られたカードが挟まっている。メヴラーナ7つの教えと書いてあった。

1 恵みと助けは流れのように与えよ
2 情けと哀れみは太陽のように与えよ
3 他人の欠点は夜のように隠せ
4 怒りと苛立ちは死のようにあれ
5 謙遜と謙虚さは土のようにあれ
6 寛容は海のようにあれ
7 あるがままに見せるか、見かけの如く振る舞え

 老眼鏡を取り出して、日本語に訳された文章をちゃんと読んでいると、私の海馬の辺りがゆっくりと旋回し始めた。遠い遠い昔だったか、女房のカヨコとトルコの辺りを旅した事があったな。カッパドキアがお目当てだったけど、イスタンブールに戻って帰国する前の日に、ちょっと時間が出来たからって、確かに行ったな、そうだよ博物館とか寺院とか。踊ってたよな、白のロングドレスの僧侶たちがさ、茶色っぽい筒のような帽子をかぶってさ。そうだ、そうだよ、女房の奴が言ってたよ。「やめてよ絶対、ウチに帰って、真似するのは」って。


「いつまで踊ってんのよ?」


 あるがままに見せるか、見かけの如く振る舞っているよな、私はいつも。だからきっとこのままでいいんじゃないかな、このままでさ、なあカヨコ。自由に記憶を伸ばしたり曲げたりしてるけど、切ったりした事はないからさ、だったら私の記憶たちは無くなっていないんじゃないかな。どこかに隠れてたりはしてるけど、何かの拍子にひょっこり現れたりするからさ。ちょっとばかりカタチが違って見えたとしても、同じなんだよ、同じ私なんだって。


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