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いつか見た風景 21

「空白城探訪日記」


 私は一体何を躊躇していると言うのだ。真夜中の冷蔵庫の前に呆然と立ち尽くしている姿は、とてもじゃないが人様にお見せ出来るものじゃない。同じ躊躇するにも、もっと毅然とした、もっと果敢な躊躇ってものがあるはずだ。たかが桜餅、されど桜餅。ああ、大声で叫びたい。時を忘れて叫びたい。ああ、何処に隠れし愛しき我が心の春よ。…そこで一句「桜餅消えた 真夜中の冷蔵庫」

                 スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス


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 毎日のように私の元に届くDM はどれもこれも似たり寄ったりで、老いた私にことさら老人であることを自覚させている。老化防止に健康維持促進の食品やサプリメントも、懐かしき昭和歌謡全集やこだわりの高齢者用高級普段着のラインナップも共に私の心を動かすには程遠いが、派手な写真とコピーが嫌でも目を引く国内外の厳選トラベルツアー企画にはその内容次第で正直そそられる。中でも私の心を時折り鷲掴みにするのは幻の秘境ツアーと謳っている期間限定の怪しい奴だ。歩行器の世話になっている私が参加するのは実際無理だと百も承知しているから、逆に怪しければ怪しい程いい。私の錆びつきひび割れた想像力をマックスまで刺激して、運が良ければ真夜中の冒険に一役も二役も買ってくれている。

「アマゾン源流で幻の人魚族と出会う旅」「チェニジア旧市街の迷宮回廊で異次元タイムスリップ」「コスタリカの謎の巨大昆虫生息地帯を行く」…と、先月届いたマガジン形式のDM に目を通していると、ページの間に見覚えのないハガキが挟まっていたんだよ。何だか何かの招待状のようだけど、今読んでるマガジンとはどうやら関係なさそうだ。きっと誰かが何かの理由で大事にココに挟んでおいたけど、挟んだ事を忘れてそのままになっていたに違いない。すると突然私の大脳の神経細胞が騒ぎ出したんだ。あれ、これってアレかも知れないなってね。アレが何だったかハッキリ思い出せないけど、確かにこれはアレのような気がするから大事なアレに違いない。何しろハガキの裏の参加するって箇所に黒のボールペンでしっかりとマルが囲ってあったからね。私は参加するんだよ。


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 日付と時間、それから集合場所を何度も確認して、私が一体何に参加することになっていたのかを探りに行く事にした。丸みを帯びた白い館が幾つか立ち並ぶその場所は、まるでカッパドキアの奇岩群にある洞窟ホテルを模したようにも見えた。私とそう変わらない老人たちが、私と同じように手に手に招待状のハガキを持って列を作っている。どうやら場所はここに違いない。時間もしっかり間に合ったようだ。列の最後尾に並び順番を待っていると、一人の女性が私に近づいて来た。

「ようこそブランクキャッスルに。未投函のハガキはお持ち頂いてますか?」 私は少し戸惑ってから、ハイと答えた。目の前の女性は確かにここのスタッフと思しき言葉使いで案内を続けた。「ブランクキャッスル、つまりこの空白城のことは何かご存知でいらっしゃいますか?」

私は正直に、全くご存知ないですがと答え、それから少し急かすように彼女に言った。「空白城?…ですか、それでここは一体どういった所なんですかな?」

彼女は真っ直ぐに私の目を見て少し微笑みながら、それは中に入られてからゆっくりご説明させて頂きますと答えた。彼女の顔は慈愛に満ちていた。少なくとも私にはそう感じ、彼女の指示に従って黙って建物の中に入って行く事にした。


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 受付に座っている私は、まるで私に初めて会ったかのように礼儀正しい態度で私に接している。「お客さま、館内は自由にご見学下さい。全てお客さま仕様に仕上がっておりますから。で、本日はこちらにお泊りになられますか?」

 ついさっきまで私の側にいた彼女の姿が見えない。そうだ、ここが一体どういう所なのか、まだ彼女から説明を受けていなかった。目の前の受付の私に聞いてみるか。私は私によく似た私に思い切って聞いてみた。

「一つお伺いしますが、ここは一体どういった所なんでしょう? いやね、招待状があったものですから、ついつい来てしまったのですが…」

「お客さま、ご安心下さい。ここはお客さまの空白のお城ですから、つまりお客さまの懐かしいはずの思い出が詰まっている大切な場所と言ってもいい訳です。心ゆくまでご滞在頂いて、そうそうお忘れかと思いますがお客さまは以前に奥様と一緒にカッパドキアとエジプトに滞在なされてますよね。それからヨーロッパの国々にも。ですから、この館内を探してみてはいかがでしょう。きっと懐かしい奥様にもどこかでお会い出来ると思いますけど」


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それにしても彼女はどこに行ったんだ? 私の案内をすっぽかして、こんなところで迷ったらどうするんだよ。…ん、そうか隠れんぼだな、隠れんぼだよ。そうかそうか、何だか懐かしいな。昔はよくやったんだよ、女房のカヨコの奴とも。


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