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いつか見た風景 96

「# 失われた時を求めて」


 神話の創成期の始まりからずっと、高度な象徴性を帯びた記号や図像、更に観念と言ったものに我々は支配され生きて来たと言う。そう、一方通行とか一時停止の道路標識が前方の状況を示す以上の出来事を我々の脳内に埋め込むために。

               スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス



「記憶から染み出すシンボリズムの罠」


 かつては世界のどこでも夢は特別な意味を持ち、同時に大いなる敬意を持って扱われて来た。賢者たちは競って夢の図象の解釈解読に明け暮れ、神の贈物とか宇宙の神秘とか、また時に悪魔の誘惑と紐づけられ、我々の日々の感情やこれから先の人生を支配した。

 夜になると猫やトカゲやフクロウが賢者たちの解釈に裏打ちされたメッセージをせっせっと運んで来る。砂漠では蠍やスカラベが、湿地や川べりではワニや蛇がこの任を担った。近所の公園の池の縁のカエルたちも、交差点に突然飛来するカラスたちも例外ではなさそうだ。

 勿論この私にも体験はある。 散歩の途中、公園の池で水遊びするカモの親子に向かって「週末の台風、ヤバイらしいから早めに準備しとけよ」ってアルト声で忠告するカエルを目撃した事がかつてあった。それから昨日だって「冷蔵庫、空でしょ、何か買って行けば、ワタシさ、出来合いでいいから、シシャモか小ぶりの一口サイズの肉団子とか」と、夕方暮れ始めに近所の交差点でカラスの奴が声をかけて来た。一瞬目があって気まずかったのか、カラスは視線を上空へと向けた。私もつられて見上げると空には薄っすらとお月さまが浮かんでいる。

「ほら、潮の満ち引きを支配する月の存在って格別でしょ」と、なぜか頭の中でカラスの声がした。「新月から満月まで、幾度も姿を変えながら多様な啓示を紡ぎ出すのよ、その神秘さの奥深さは太陽の比なんかじゃないわ」と。確かにそうだと私は思った。男性的な力強さや生命力の象徴として太古から位置付けられて来た直線的な骨太な太陽に比べ、どこまでも多様な神秘を讃える女性的な象徴像としての地位をつい最近まで保ってきた事に異論を挟む者はいないはずだなと。そんな事を考えながら、交差点をゆっくりと渡たりきり、気になってさっきのカラスに目をやると、薄いロングパンツにT シャツ、全身黒づくめの若い女性に変身していた。

 月や太陽が、猫やトカゲやフクロウが、蠍やスカラベやワニや蛇が、それから勿論カエルやカラスまでもがこぞって記号化や図案化され、それぞれの地域や民族、宗教や社会の中に溶け込んで行ったのには理由がある。一言で言えば「仲間が欲しかったから」であるに違いない。そうなんだ、太古の昔から人は誰かと繋がりたいとずっとずっと思って来た。


「秘密の結社を作ろうじゃないか」


 繋がりの形態や構造はそれぞれだ。支配や従属もこの際大目に見てやろう。仲良しクラブや平和な集団の方がむしろ珍しいと言ってもいいかも知れない。秘密結社やカルト教団の類を例に出すまでもなくね。きっと彼らの周りには毒を持ったトカゲや蛇や蠍が必要以上に頻繁に出没していたに違いないからさ。

 話は変わるけど、アリソン・レナト・ムオトリというブラジル出身の生物学者がips細胞を使って古代ネアンデルタール人の脳を再現したんだって。彼が知りたかったのは同時期にヨーロッパで共存していたネアンデルタール人とホモ・サピエンスの脳は一体何が違ったのかという問題だ。一方は絶滅し、一方は今に至る驚異的な進化を可能にした。DNA レベルの違いはたったの61 個、大きさでは殆ど変わらない。むしろ僅かだがネアンデルタールの方が大きいのにと。脳オルガノイドと言われる脳細胞の初期段階に電流を流して観察すると、明らかに神経細胞のネットワークの繋がりに差が現れたと言う。圧倒的にホモ・サピエンスの方が神経の細胞それぞれの繋がりが多かったと。

 ホモ・サピエンスが仲間を集め集団や社会を作っていたからこそ、様々な環境の変化や危機に対応して生存出来た事は既に知られていたけど、それが可視化された脳細胞のネットワークからも見事に見て取れた訳だ。脳内のネットワークは架空の物語を作り出し、周辺にたまたまいた生物や植物、更には天上の星々までも巻き込んだ人類の社会の一大ネットワークを構築していった数多の事例は、図書館に行って専門の文献を当たれば幾つも実例が載っている。

「だから、絶滅に瀕した老人たちを中心に、新たな結社でも作ろうかと思ってるんだよ」と、今週我が家で預かっている近所の黒猫に相談してみた。奴も結構な高齢だって聞いていたし、この際だから入会基準も大胆に広げて、そうだ、かつて神々の使者だった森や海の生き物たちも誘ってみようか。結構ヒマして世の中憂いているに違いないからね。そうそう、それに老後の気ままな惑星間旅行がそろそろ飽きて来ている宇宙人夫婦なんかにも声がけしようと思ってるんだ。種も個人もさ、絶滅間近にもう一つ刺激が欲しいからね。


「いい年なんだから無理しない方がいいってよく言われない?」


 今、私が執拗に気になっている事があるんだよ。それは絶滅した最後のネアンデルタール人がジブラルタルのゴーラム洞窟に残した記号、ハッシュタグにそっくりなその図像(イメージ)は一体何を物語っていたのかってね。脳の神経細胞のネットワークの差を憂いて、それでもこの世界の誰かと繋がりたいと、一心に岩肌に刻んだハッシュタグじゃなかったのかって思ったりするんだよ。だから私もスマホでインスタ投稿する時なんかにさ、ついつい「# 失われた時を求めて」なんて打ち込んじゃったりしちゃうんだ。


https://instagram.com/drk.publishers/


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