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『若返りの湯』/掌編小説

若返りの湯。なんとも素晴らしい響きだ。
今巷で大人気となっているのは、数ヶ月前に新しく沸き出した温泉で、なんとその湯には文字通り若返り効果のあることが、専門家によって発表された。
猫も杓子も温泉を求める、空前の温泉ブームが巻き起こっていた。

そしてこの男も若返りの湯を求め、滅多にとれない休暇を利用して温泉地にやってきた。

この男が訪れたのは、大きな声では言えないが、効果の程度が未知数だと危惧する研究者たちによって違法とされた「源泉掛け流し」の湯であった。
きっと絶大な効果が期待できるだろう。

男は到着するなりいそいそと、服を脱いで温泉へ。

流石は山奥の秘境の地。湯の近くまで鳥や蝶が遊びに来ていた。
寒冷地の名物として、テレビでよく見る猿たちも気持ち良さげに温泉に浸かっている。

風流だ。胸を踊らせ湯にすべり込む。

アァ染み渡る。
湯はなめらかで、浸かるとぷかぷか浮くような、不思議な心地だった。

そのとき、ふとひとつの疑問が浮かんだ。
こんなに素晴らしい泉質で、その上、大きな若返り効果が期待できるというのに入浴客は自分だけ。違法とはいえ、若返りの欲望は底知れない。もっと混みあっていてもいいはずだ。本当は大して効果はないのかもしれないな。
有休までとってやってきた期待は半分になっていたが、この湯の不思議な心地よさに男はそのまま身を委ねた。



__ケロ。ケロ。
ケロ。ケロ。
日も沈み、しんとした温泉地に蛙の声が響き渡る。
もう男の姿はない。替わりに一匹、小さなカエルが湯の端で岩に掴まっていた。

源泉掛け流しの効果は絶大。
男の前世はカエルだった。

満天の星空に、まんまるの月が磨き上げられた鏡面のように輝いている。
しばらくするとまたガサガサと、温泉を求めて茂みを分け入る足音が聞こえてきた。
「あった!ここ、ここ。源泉若返りの湯!本当にあったのね」


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